「チミのデキのいいオツムなら一生賭けてもシェリィドラッグは理解出来ん」
大前提でマイクロブログなる言葉を初めて見たのだけれど、snsとはちょっと違うみたいな、おなじみたいな、なんかはっきりしない言葉でした。文字制限のあるブログ……snsじゃないのかしら。まあついtt、旧ついったーは140字制限、マストドンは560字制限、あとどっかは2000字制限、比べるとsnsといっても一口に制限の差がすごいので区別しづらいのかしら、ようしらんけど。
ある人が書いていたのは、自分にはマイクロブログが合っていてブログが合っていなかった。ブログはまず書くことを練らなきゃいけないから、考えたら即出しできるマイクロブログのが楽っていうお話でした。
それを見てわたしがなんとなくsns全般に感じていた苦手意識みたいなのがわかりました。脳直です、脊髄です。
例えば「〇〇がクソ」って思うじゃないですか。snsならもう即発信するわけです、ここでおしまい。でもブログにすると思ってからパソコンなりスマホなりに向かう、ブラウザ開く、ログインする、入力する、推敲する、投稿する、見直す、くらいは行うわけですよ。その過程の中で「この表現はまずいんじゃないか」「いくらなんでもクソはないじゃろ」って思って止めたりするんですよ。ブレーキがかかる場面がいくつもあるんです。でもsnsってそれがない。思いついたら即発動、即発信、即攻撃。そりゃ濁流にもなりますわ。
ブログって大なり小なりこうこうこういう話を書きたいなあって思いで書くんですよね。でもsnsってその時間がほぼない、ノータイム脊髄お話ぺっちゃりくっちゃり。いやそれはメリットでもあるんですよ、というより最大のメリットなんです。思いついたら即行動できる、即発信できる、すごいことなんです。ただそれがねえ……暴力と攻撃性を孕むとねえ……最近のsnsになるんですよお……。snsだけじゃなくて、ようつべのコメント欄とかもそうですけどね。だからこれは現代病の一種かもしれないんですよ。書き込む前に一旦読み返してみて、その言葉、ほんとうにコメントとして適している? 動画に沿う内容ですか? 今コメントしなきゃいけないことですか? 誰かが嫌な思いをしませんか?
うーんでもですねえ、嫌な思いっていうのも最近はあれなんですよ。
同調圧力がすごい、嫌いなものを嫌いって言えない雰囲気がすごい。
わたしは某漫画がものすごく嫌いなのですが、その漫画のコメント欄に「嫌い」という意見が一つでもあると「じゃあ書き込むの止めてもらっていいですか? 不快です」みたいなコメントを最近見かけて、批評としての好き嫌いまで弾圧されてしまって称賛しか認めない世界になり、裏でボロカス言われるという地獄みたいなさまを呈しているので、どんどんネットの世界は異常になるのにリアルとは近付いているという別の意味での怖さがあります。
人の本能として悪い意見のほうが聞きやすいみたいなところもきっとあるとは思うのでなるべくそういった情報はシャットアウトしたいんですけど、臭いとわかっていて覗きたくなる穴もあるんです。そっ閉じ、大事です。
うん、そうなんですよ。そっ閉じ、ブラウザバック、あと最近ですとなんですっけ、のっとふぉーみー? やはり棲み分けは大事なんです。住み分けられる環境が必要なんです。だから本当に大切ですね、ワンクッション。
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