「チミのデキのいいオツムなら一生賭けてもシェリィドラッグは理解出来ん」
一世代がわたしの中で終わった。
MD、それは優秀なリムーバブルメディアである。
わたしの中学生高校生時代を華々しく彩ってくれたもので、登下校に聞く椎名林檎はわたしを最強にしたし、こっこや鬼塚ちひろは無限リピートしてすぐにMDウォークマンのバッテリーを切らせた。
でも出た時代が悪かった。世間ではMP3プレーヤーのほうが人気だったし、CDからいちいちMDに焼き直す手間があるし、iPodすんげえ流行ってたし。まあわたしはMDが好きだった。CDと違ってディスク面が傷つきにくいので少々落としたり荒っぽくしても壊れたりしないしね、熱は持ちやすいんだけれど。あと背面に自分専用の曲紹介みたいなのを書くのが楽しかったよね。貰ったMDとかもその人の個性が出ててとても大事にしてた。
わたしの部屋にあったのはKENWOODの2002年製のMDコンポ、20年ものの大ベテラン勢である。ラジオも聞けるしCDも聞けるしMDも聞ける。これ実は値段の割に音質が結構よろしい。これ以外買ったことないから知らんけど。ちなみに同じ20年選手というとベッドとペンタブである。ペンタブ……きみ、すごいな、今現役に返り咲いてるからね。パソコン自体は買い替えるから長持ちしないけれどペンタブは時とOSを超えて動いている。
そしてこのMDコンポはわたしの全ての引っ越しについてきた。
一昨日のことである。作業用BGMとしてようつべを聞いていたが、ひさしぶりにCDを聞こうとCDオープンのボタンを押したが反応がない。電源はつく、CDが開かない。CDが入っていたはずなので再生ボタンを押すが再生する素振りは見せるが再生はされない。ラジオはボタンがおかしいので受信ができない。これは前から。じゃあMDは? と恐る恐るMDを飲み込ませてみるとMDはふつうに再生された。いや、いい曲ですね、GOGO7188。そして恐る恐る出してみる、飲み込まれまいかと恐怖したがふつうに出てきた。ふむ、MDだけ聞けるのか。……うーん、壊れましたねえ!
MDコンポってまずMDが聞けなくなるパターンが多いらしい。ベルトがへたりやすいんだって。それがうちのMDコンポはMDのみ聞けて他が全滅。うーん、優秀。そして悲しい、20年ベテラン選手の逝去。
とりあえず近日中に飲み込まれているはずのCDを解体して救出したら捨てますね。
買い替えません。おまえでおしまいです、おまえでわたしのコンポは終わりです。
ものがものなので買い手は居そうですがメルカリもヤフオクもめんどうなのでやりません。
気持ち的に大分穴が空きました。
MD、うちでは現役だったんよ。
生産されなくなってもうちで再生できるうちはまだまだ現役だったんよ。
だからそれが壊れちゃうのはすごく寂しい。
過去記事:CLIP STUDIOを買いました
上の記事を書いてからずっと描いてます。毎日です、エブリデイ。
基本的に一日1時間、最近ちょっと守ってない。腰が爆発して痔が悪化する。
コーヒーとコーラを飲むのでまじでやばい、ケツがやばい、痔が加速する。
一工程、線画なら線画の日、次の日着彩、みたいな感じ。
守ってないけど。
まあ毎日なのは指で描いてたときも同じなんで別にペース自体はハイペースではないんだけれど、ぴくしぶとか遂に開設して絵ぼーんって載っけてる。遂によ、遂にさ。なんか今までめんどうくさくて登録もしないし人のぴくしぶのもR指定あると見れなくて、ほーんまあ登録してまで見たくないからいいかー、って感じで放り投げてたのに、遂に登録しちゃったのぴくしぶに、支部に! でも月イチとかそれ以上にログインしない、なぜなら溜まったら投稿する形だし、あとプライベートブラウジングの民だから基本的にログインしない。まあ開設しましたよってだけ。
あとこれは指時代だけどようつべにアカウント作ってタイムラプス上げてた。
絵はさあ、正直昔のがえぐくて上手い。
昔のようになりたいけれど、まあ無理かなあって薄々気付いてる。
あと少しついったーでのやりとりとかそういうのが疲れてきた時期でもある。
結局のところわたしは宗教とか虐待とかいじめの話は自分が死ぬ手前で喋りたいと思っているんだけれど、たぶん聞いてくれる人がいないだろうし遺言とか残してもとんでもねえ長さになりそうで、それでいて恐らくはまたいつものように誰にも取り沙汰されずに消えてゆくのねと思うと生きているうちに喋ってしまったほうがいいのかもしれない。
どれくらい自分の中で消化できているかと問われるとまだ未消化なんだよね。
でもたぶんこれは一生物なんだろうと思う。
めちゃくちゃタブーだろうけれどなんとなくは知られているのは、宗教二世って旨味があるのね。これは二世に限った話じゃないんだけれど、宗教にいると旨味があるのね。何が旨いって、衣食住が確保されていること。特に職。どんなにグズでのろまで社会常識がなくても職が保証されるのね、これすごいこと。大抵宗教にドはまりするのは底なしのお人好しかただの馬鹿なので、この職が提供される、しかもフルタイムではないっていうのはすごいこと。なんでフルタイムじゃないかは説明すると長くなるから省略。でも生きていけるには十分の職にありつける、ハロワでは出て来ないコネ系求人。
二世っていうのは社会的防御力がゼロのまま温室で育てられるのでそのまま社会で一般就職とかまず耐えられない。だから賢い二世は宗教に準じてるふりをして職を受け取って内心唾でも吐いてるんじゃないかな。これは想像だけれど。順当に二世辞めて就職しましょとか考えたらもう生活保護コースしか待ってない。だって社会的防御力がないから、無菌室で育てられてきたから、身を守るものの存在を知らない、知識もない、経験値もない。なべのふたすらないサバイバル、おまけに生き残らなきゃいけないという意思もなければ生き残らなきゃいけないという意味も知らない、そういうレベル。ふつうの人が長年無意識に積み重ねてきたものが何もない。
当たり前に得る知識って当たり前に生きていない人にはすごく羨ましい。
わたしもふつうの家庭に生まれたかった。
まあ件の話は特に語らないのだけれど。
もやもやあっとした部分があるので少しだけ書かせていただきまするよ。
いやね初めは、自分への弄りを超えた罵倒に対して立ち向かってくれる他の人がいるってしあわせだなあと思ったんですけど、ぶっちゃけこれってべつに愛情じゃなくてもいいわけで、モラハラでもDVでもおそらく殴ると思うんですよ。なぜなら「自分の所有物」をバカにされたから。言ってしまえば、こいつを殴っていいのは俺だけでお前は殴ったらだめだぞ、っていう自己欺瞞、ジャイアニズム。
ちなみにほんとうにハリウッドとはなんの関係もないので、これはこれそれはそれ案件。
考えても見ればたぶんだけれどうちの父親なんかは誰かがわたしや母をバカにしたら殴りに行くと思う。本人はパワハラモラハラ発達くそやろうで、わたしに暴行を働いた張本人のくせに、殴りに行くと思う。自分のしたことを棚に上げて、他人の罪を贖えと迫ると思う。それはべつにわたしを大切に思った末とかなんでもなくて、単純にそのほうが外面がいいから。そういう自分が気持ちいいから。自分の所有物への侮蔑はゆるさないの。
だからあれはべつにかっこいい男でも、男があがる行動でも、ましてや褒められる行動でもなくて、ああ男ってそういうところありますよねってスンとした嫌な見方をしてしまう自分がとても嫌になったというもやもや話なのでした。
あとパソコンをつけました。
毎回確定申告の時期だけパソコンを起動しているのですが、今年の確定申告は特に申告することがなかったので、試しにタブレットからやってみたらすんなり出来てしまったゆえにパソコンの起動イベントをすっ飛ばしてしまったのですが、それではまずい、一年以上も起動しないのはさすがに起動した瞬間に爆発四散するのではないかとか、無線のキーボードマウスが反応しなくなるのではないかとか色々思っていまして。
常々指でイラストを描いているのですがこうやって指で描き続けてたら一生布団から出ないな、でも椅子に座るとヘルニア怖いしなとか堂々巡りで、まあタブレットがもうandroid6でメモリもかつかつなんで、ああそういえば板タブあったなあ、タブレットをiPadに買い換えるよりもパソコンでお絵描きしたほうがいいんじゃないかなあと半年くらい悩んで重い腰を上げました。
わたくしの持っているペンタブはFAVOでしてまあもう二十年前か十五年前かまあそこらへんのものなんですが、Windows7では動くことを確認したもののWindows10ではまだ接続してないけれど、いやまあ物は試しだと接続したらピロリンと動き、CLIP STUDIOの体験版をインストールしたら筆圧(512)も動いたのでああもうこれは運命よと一日がかりのWindowsupdateで21h2にしたのがこの間の話。
そして今日CLIP STUDIOアカウントを登録して無事課金。
昔のフォトショとかイラレとかの値段から考えると5000円はまじで安い。
ファイアアルパカとかpixiaでも個人的には十分だと思っているんだけれどこれだけネットに情報があって素材も豊富にあって5000円はまじ安すぎでしょ。あと増税で値段上がったら嫌だねっていうそんな思い。
ペンタブは使ってると手汗でぐしょぐしょになる以外は慣れの問題。昔絵描いてたときもそれほど慣れなかったので(絵ビビの民だったので)まあ指が一年ぐらい慣れるのに時間かかったからまたそれくらいかなって。そんなにわたし生きるのかなってふと思ったりするけれどまあ生きるんじゃないかな、途中で死んでもまあいいんじゃね。
去年はさ、ほんと年内には死のうと思ってて
12月を迎えるのが怖くて、待ちわびて、でも死ななかった
今年は端からそんなこともないので平穏無事に3ヶ月過ごしているんだけれど
出来ることなら早めに死にたいよ
何かニュースが起きるたびに
「そんなに死にたきゃ一人で死ね」という声が聞こえることがあって
じゃあ一人で死ねる施設を作ってくれよ、とそのたんびに思うんだ
同調圧力で死ぬ人間より、生まれてからずっと死にたいと思ってる人間が報われる方がいいと思うんだよ
わたしを死から縛るものは宗教
その宗教を刷り込んだのは虐待と洗脳
だから何が原因かなんて分かりきっている話で
だからわたしは死を選べない
ゆるやかな事故死と大げさな地球滅亡を常に願ってる
死は怖いよ
死にたいわけじゃなくて、生きていたくないんだ
生きていくのが辛いし苦しいしいいことなんて今までもなかったんだからきっとこれからもあるわけがない、禍福なんて生存バイアス、わたしの前で唱えてみろ
言ってみろ、ほざいてみろ、わたしの前で口答えをしてみろ
なにひとつ悦びのないわたしの人生を前にして、その言葉を口に含め
おまえの人生に歓びがあるのはそれがおまえの人生だからだ
わたしにはないんだ
ないんだよ
作品の中には舞台装置のキャラクターというものが存在する場合がある。
わたしはそれがあまり好きではない。
好意的に捉えるならば作者は作品を作りたいのであってキャラクターを育てたいわけではないんだろうなと解釈はするのだけれど。
舞台装置のキャラクターは都合のいい時に都合のいいことを喋り物語を進行させる。同時に記号の要素も持つことが多い。彼らは実にわかりやすい。実にそれっぽい。しかしそれではない。それらしいが、それではない。持ちうるセリフ以外は喋らないし行動もしない。ただ物語を進めるための謂わばNPC。そこからつまみあげてしまえば何の価値もない。他の何を喋ることもない。彼らはその世界に生きているわけではないので、例えばその世界の別の場所に移動させても価値がなくなる。
ここで笑ってくださいここ泣き所ですここが一番感動シーンですよ! と与えられる作品は、別の味方をすればそのシーン以外は無意味だ。わたしは何でもないやり取りのシーンや漫画や小説の何もない行間に空想や思いを馳せる。非常に相性が悪いのだ。
考察が好きとかそういった類ではなく、まあ頭空っぽにしているときはまるで据え膳上げ前のように提供されるそれらのほうが楽と言ったこともあるが、それにしても作品の魅力というのは作者が思っているよりも案外べつにあるものだ。
更に言えば記号や舞台装置のキャラは自我を持っていないので魅力的どころか非常に不気味に見える。彼らには行動理念がない。
「なぜこのキャラはここでこういった行動を取ったのか?」の答えは
「そういう風に台本に書いてあるからです」でしかない。
クソ国語もびっくりの回答だ。
キャラクターは人間ではないので考えないし悩まないし葛藤しないし逡巡しないし常に合理的で論理的な行動を取る。実につまらない。中身がない、キャラとして存在していない、正に物語を回すためだけの存在。都合がいい。なので舞台装置を積極的に登場させている作品は非常に多いし、それが記号を伴っている場合が殆どだし、もっと言ってしまえば昨今の作品なんてこれが称賛されるまである。読み手の思考放棄の賜物なのかも知れない。
まあ読み手の話になると最近よく見るのがリアリティの話。
フィクションにどれだけリアリティを求めるかっていう。
これは色々ありそうだけど究極な話フィクションの根底はリアリティなので違和感を抱いた時点でだめかなと個人的には思う。