「チミのデキのいいオツムなら一生賭けてもシェリィドラッグは理解出来ん」
なにかを考えているとそのなにかに全てのCPUが占領されてしまい、結果として顔面があほのこになる問題がわたしの中で昔からあった。なのでよく「わかりますか?」(聞いてますか?)と聞かれた。分からない訳でも聞いてない訳でもないが、見た目があほのこなのでそう言われることが多かった。全力で脳をフル回転すればするほど顔面に回す分が足りなくなるのだ。
社会人になったわたしは考え、脳は80%程度に抑えながら顔面に配慮しようとした。「悩んでいるフリ」を顔面に宛行うことによりそれほどパーセンテージを落とさずに考えるテクと編み出したのだがこれが暗転し、考えていないのに悩んでいるフリをする癖、と化してしまった。なんじゃそりゃ。
結局悩んでいるフリをするのにCPUは著しく低下するので脳の働きも60%ほどにまで落ちるので大して意味はなかったのに変な癖だけが生まれてしまった。
コルセンをしているときに、まるで一切相手の話も聞いてないしどうでもいい情報をただ時間だけ過ぎる間相槌打つ所謂「キャバ嬢」テクを入手した。キャバ嬢モードの時は完全に脳死しているので相手を労ったり小粋なトークをかましたり謙遜したり尊敬したりした言葉がポンポンポンポンスラスラ淀みなく溢れてくる、ただ脳死。相手のことなんて気遣ってないし気にも留めてない。ひたすらの脳死。
(キャバ嬢をばかにしてるわけじゃなくて、年配にくそみたいに気に入られやすいのとトーク力が商売人ばりに高くなるからそう呼んでるだけだよ)
「あほのこ」の時はひたすら言葉に気をつけるから言葉に詰まるのに、
キャバ嬢トークは一切言葉に詰まらないけど完全に脳死してることを鑑みるに、世の中って軽率に生きたほうが随分と楽なんだろうなってすごいいつも痛感しちゃうんだ。
ある時知ったのですがわたしは生まれたときは左利きだったらしいのです。
左利きでAB型という非常に珍しい子だったそうです。
らしいというのは、物心ついた頃には既に矯正が終わっていて右利きだったからなのですが、言われてみれば……と思い当たる節がいくつかあり、そのエピソードを割と大きくなってから聞いて「だからか!」となることのが多かったのです。
結構何かをする作業の時右利きの子とは少し違う持ち方をしてそれを先生に叱られたり揶揄られたりしたのですが、端から左利きだとすれば逆でも納得がいきます。まあできればもう少し早めに教えてほしかったのですが。結構、イジられたんですよね。
社会に出てからもイジられることは多々あるんですが既に矯正終わった身としては左利きなんでみたいな逃げ口上が使えないしそもそも間違ってると思っていないので左利き矯正いじりは外見いじりと同様にしてはいけないものだと周知されてほしいですね。
「将来生き難かろう」という配慮で行われた矯正でわたしとしては大感謝です。まあこの世の中は右利き用ですから右利きで生きたほうが楽です。左利き用の世界ではないですからね。左利き用にしてしまえば右利きは生きにくい、そういうもので、大抵は大多数に合わせるものです。
そこをでかい声のマイノリティが生きやすい社会を! なんて騒いでますけれど、少数派にとっての生きやすい世界は大多数の人の生きにくい世界であるわけです。左利き用のハサミなど開発されてはいますがラーメン店で隣通し座ったら不便です。配慮はしますが優遇はしません。こういう言い方は少数派を弾圧するように聞こえますが、声がでかいだけで権利を主張するだけで義務も果たしていなければ他人に配慮する気もない特定の人々にとても利益が有り当事者には迷惑しかかけていない権利団体は自分の発言そのものがブーメランになっていることを知るべきです。
小林化工という会社が製造した水虫薬に睡眠導入剤が混入しており二人死亡した。が、メディアはこれをジェネリックだと一切報道しなかった。もう既に闇。
混入していた睡眠導入剤もこれまたリスミーのジェネリックであり、通常の二倍近い量が混入していたが、古いタイプの水虫薬なので一度に8錠とか飲むタイプらしく、朦朧とする人があとを立たなかった。
現在厚労省の監査が入り事実上の製造停止回収騒ぎとなっているがジェネリックだとマスコミは一切報道していない。
かなり幅広く製造を行っているようで製造委託も受けていたためこの会社の製品さえ避ければ安心というわけではなく、最早ジェネリック全体の信用を著しく落とすものだが報道しないのでセーフである。ふざけるな。
今回は水虫の薬に睡眠導入剤という混入だったため日頃から鍛えられていない方々に症状が出たわけでその言い分も取り上げられているのだが、この会社はリスパダールやジプレジサ、デパスやロキソニンも出しているので、そっちで健康被害とか出てもきっと相手にしてもらえないね、なにせ訴えるのはキチガイだ。
以前からジェネリックでは先発品では起こり得ない副作用が出ていたがこのような杜撰な製造工程で治験もなく出荷していた事実をとっとと報道していただきたいし、効かない薬を配って医療費削減とか抜かしている阿呆どももまとめて駆逐したい、そういうのがメディアの仕事だろ、真実をすっぱぬけよ、人が死んでるんだ、報道しろよ、いつまでスポンサーへ忖度し続けるんだ? 君らが隠せば隠すほど真実味が増すんだよ、報道規制や報道しない自由とかで隠したいものがはっきりと見えてきちゃうんだよね。
昨日書いたあとに考えてみたのだけれど。
がんばったわたしと、がんばりたりないわたしが同時に存在していて、それを全肯定するとして、つまりはがんばったほうを肯定するとして、ならばがんばりたりないわたしを肯定するわけではないのだから、必然的にどちらかは否定することになるので、二律背反よろしく全肯定をするということは全否定をするということではあるまいか。
そもそもの前提として矛盾した二つの状態が存在しているわけだからそれが他者の目を介した際に有力なのか確認しにくく、こういった一か百かといった考え方はわたし特有と言うか性格と言うかまあ分類しにくいものではあるのだが、それにしても相反するものを全肯定するとなると不可解に全否定するのも同時に起こり得るのだ。そしてその存在こそがひどくわたしを痛めているという事実に気がつく。反応然り、そもそも論然り。
他者の目が複数だったり異なった観点を同時に観測しうるわたしのような厄介な人格分裂者じゃない限りは二律背反の考えに全肯定はしてはならないという、下手すれば恨みを買いかねないというそんな戯言。
(さっさと薬飲んで沈んでおけ!)
わたしはわたしが間違ってるって一番良く知っているから
間違っているわたしを肯定しないで
(でも否定もしないで)
人生はなんとかならない。ならなかった人から死んでいく。
どうにかならない。どうにかならなかった人は死んでいる。
(ビバ! 生存バイアス!)
わかります? わかるわけないでしょ。
そうだね、今は休むときだね。もう何年休んでると思ってんだ?
わたしはがんばってきたけれどもっとがんばらなければいけないし、もうがんばれないことも一番よくわかってる。何年生きても地獄だし何年生きてもいいことなんてひとつもない。それでもまだがんばらなきゃいけないのはどうしてなんだよ、どうしてそこまで死ぬのを我慢しなきゃいけないんだ、もうよくないか、もうずいぶんながいことがんばったんだ、もうよくないか。
これ今何かしら背中押されたりきっかけがあったら行っちゃうな
出来る範囲で自衛はするけれど
わたしは基本的に布団と一体化しているので横になっている時間は大いのだけれど朝は早起きするので起きている時間はかなり長い。一方母は起きている間はテレビを見て夜はすぐ就寝するのでお互いの時間区分について話し合ってみました。
わたし→一日20時間活動(16時間〜前後する場合あり)
母→一日10時間活動(12時間は超えない)
さて二倍近い活動時間の差が出たわけなのですが。
昔、時の流れというものは実際大人と子供で体感違うもので、子供の時が経つのは遅く老人は短いとか、ジャネーの法則だとかありますよね。まあなんや聞いたことはあるんですが、女性の二十歳からの年齢ってジェットコースター顔負けのスピードなんで個々で時が違ってもどうでもいいんですが。
これって、わたしの一日を母が二倍の速度で生きているのか、
母の一日をわたしが二倍速で生きているのか、どっちなんでしょうね?
一日の時間は24時間なわけですから活動時間に、
……というか書いてて思ったんですが、若い頃は長いと思ってた時間って単純に活動時間の差では? 小さい頃って一日が36時間ぐらいあったような活動してましたし回復も早かったのでガンガン回していけたような気がします。そういうことでは? あれれ?