「チミのデキのいいオツムなら一生賭けてもシェリィドラッグは理解出来ん」
「できがいい」「仕事が速い」「気が利く」
等々、お仕事をしていてたくさんお褒めの言葉をいただき大変恐れ多いことなのですが、生憎ながらわたくしは重度の精神疾患を患っていまして、少なからず解離性も含まれておりまして、薬ガリガリおくすりおいちいな生活なわけですが、そんなわたくしめに「仕事が出来る」などと言ってしまわれるということは即ち。
皮肉ですよねえ。
アイロニーというか、冒涜と言うか、反面教師と言うか。
精神障害への理解というものは今度も生まれることはないと思います。わたしだってすべての精神障害者の代表的発言を出来るわけじゃないから自分の精神に対してしかものを言えないけれど、わたし自身いろいろなので固まった意見なんて言えやしません。
ただ確かに言えることはただひとつあるんですよ。
障害年金だけじゃ暮らしていけないんです。
だから就労不可でも働かなくちゃいけないんです。
オープンだと発達障害しか採られないんでクローズで探すしかないんです。
いびつである。
内容は似ていても密度が全く違っていて、被害も軽傷と重傷でだいぶ異なることがままある。
トラウマになるかならないかみたいなの線引みたいな。
時間が薬だったりもするのだけれどそこから一歩も動けなくて時間さえ止まっていて、身動きもできない消化もできない治療もできない、ただひたすらにボロボロの体で、なのに無情にも過ぎていく時間は特効薬にさえならず、かえって蝕む毒となる。なぜ自分は動けないのかとなぜ自分は乗り越えられないのかと無慈悲にも自分で自分を責任で閉じ込めて雁字搦めにして傷口をえぐり出す。時間が直してくれるのならば自分は治るべきだ治らないのは怠っているからだと責め、トラウマは矛先を変えてゆく。
事象は大抵残酷なので、似たり寄ったりな内容でも千差万別。
かすり傷程度で済む人も居る。
そういう人は端から怪我をしていない。そもそも時間に縋らない。身動きも出来るし怪我もしていないので治療も消化も必要ない。元気な体でほんの少しだけ傷付いてしまっただけ。ただの事故みたいなもの。不幸な、それこそ急に降ってきた雨にふられてしまったような、その程度しかダメージを受けなかった人。これは捉え方云々ではなく、事実として傷の浅かった人の話。
このような人は得てして声が大きい。さも当事者、さも重傷者のように振る舞い、本当の重傷者を貶す。無論、本当に支援が必要である重傷者ではないので重傷者を気取ることは不可能であり、結果として重傷者の存在そのものの否定となる。なぜなのか? 人間、自分がしていない体験には無頓着で否定的で、そして信じないからだ。
例として、一般的な家庭に育った人は虐待家庭という存在を信じないだろう。まあ今はネットがあるし情報は幾らでも入ってくるが、ニュースにならなければ隣の家が虐待家庭だとしても気付かないだろう。そして恐らくだが、一般的な家庭の人が抱く虐待と、本当に行われている虐待はまったく異なる。
なんかまあいつか書くかも知れないけれど……気分がいいときとかに。
虐待されてたり虐められてたりすると、当人はそれを否定したりするからね。わたしは虐められてる時に虐めを否定したことがあったよ。それは自尊心を守るためで、決して学校や親に知られたくないという理由ではないよ。なので事の全貌は公には出にくい。
自分自身を守るための嘘。殻を作って精神を守ろうとするんだよ。酷い目に遭っているのは自分じゃないと思うんだよ。そうやって自己破壊が続いていくんだよ。もうこれはわたしの悪癖だね。
この時期になると毎年言っているような気もしなくもない。
うつ状態に似ているかも知れないけれどうつ病になることはないから、おいしいものをたくさん食べてたくさん楽しいと思えることをやってあったかいお風呂に入ってぐっすり寝たら治るよ。
だから誤っても精神科外来なんかきちゃだめだよ。
この時期どえらい増えるけどね、その後も通院するような人はほんとうに一握りだし、きっとそのひとたちは騙されておくすり飲んじゃったんだね。うんそうだよ、だって五月病はうつ病じゃないから、抗うつ剤もくそも必要ないんだよ。
偶にうつでも何でもない人が外来に来て誤った診断を受けて、誤った診断だからそのうち治っちゃって、「自分うつから治りました!」とかでかい声で言い出して本なんか書いちゃうけど、うんそうだね、初めからうつでもなんでもないんだからそりゃ治るわよ。
とっとと、うつ病は夜元気で朝つらい、うつ病は太陽光浴びたら治る、運動したら治る辺りは駆逐されて欲しいね。
治らんよ。上記は全部嘘だよ。
結果の有無に関わらず長時間会議を繰り返す男性を見ています。
会議前の資料作成で毎回乱闘になります。
というかですね、データで出来てる会議資料をカラー印刷してシュレッダーするって、どの口で経費節減を言ってるんだよと思うんですよ。もしくは資料配布したものを後日データでくれとか印刷してFAXして送れたかどうかを電話やメールで確認とかもうばかかとあほかと。
会議といっても全体の決定権を持っていたり見積もりOKゴーサインを出せる人が必ずしも同席しているとは限らないので「持ち帰り後日また」みたいな感じで会議ふたたび。話し合ってるだけ意見交換しているだけでおしまい。彼らは会議が好きなので会議が増えれば増えるほどうれしい。そして会議待ちの人間は思うわけだ。
「話が決まったら呼んでくれ」とな。
必要もない定例会議に、誰も見やしない膨大な資料の作成&印刷。
生産性が低いのも効率が悪いのも頷けます。特に後者は仕事お構いなしに会議有無によってねじ込んできますからね。優先順位は常に一番上で。そんな会議やめちまえー! と、わたしに言う権利はないのですがね。
まあまずその日の内に雑記を書くのはむりだとしても一週間に一度パソコンを立ち上げるのすら億劫になりました。目をすごく仕事で使うので帰宅後は一切パソコン触りたくないんですよね。そのくせタブレットでちゃんとスタミナ消化はしますけれども。
事務というのは大変多岐にわたります。事務というかもう行動的には秘書兼庶務兼全部みたいな感じですけれども。まあどこの事務でもそうなんじゃないでしょうか。簡単に務まるように見えて根幹を支えている重要なポジションです。へたすればどんな上役よりも重要かもしれない。人と人のつながりをがっつり掌握している、そんな人が事務のおばちゃんです。
でも労働者やないんやけどな。(守って! 労働法!)
日々神経を摩耗しているので上の階の人が相変わらず夜の21時頃からドッタンバッタン大騒ぎを始めてもなにしても、寝て起きて働いて寝に帰るだけの日々です。週40時間はやっぱり多すぎると思います。生産性がなさすぎると思います。事務に生産性? と思うでしょうけれど、これが例えば超無能なんにも出来ひん事務と比べたらまあ、事務はほんとうに人と人との潤滑油みたいなもんじゃないんでしょうかね。なくても困らないんだろうけれど居るとすごい滑るみたいな。わたし人を潤滑油に例える昨今のブームはよく分かりませんけどね。ネジアピールじゃだめなんでしょうか。歯車じゃだめなんでしょうか。事務は潤滑油でも良い気がするんですがね。
業務委託料の振込が月末なので、わたしは丸々二ヶ月程無収入での暮らしを余儀なくされました。ふつうのひとならつらいんだろうなあ。わたしも世間体的につらいと言っておきます。結構間が空いたなあ。ちゃんと振り込まれるんだろうか。源泉徴収されるんだろうか。そこらへんは実際に振り込まれてからまた悩みたいと思います。勉強することが多い。しなくちゃいけないのが増えるのは嫌だが、してみたいが増えるのはいい。金の話は、どちらに属するのかなあ。
わたしの場合だと、病院が値上がりして薬局が値下がりました。
大元はこちら。
「平成30年度診療報酬改定について」(厚生労働省)
諸々はこちらがわかりやすかったです。
「【2018年】調剤報酬改定の総まとめ!新設項目は?変更点は?算定要件は?」
病院が値上がった理由は一般名処方加算が倍額になったからです。ゴリ押しやめろ。
薬局が値下がったのはボーナス加算だった調剤基準加算が廃止されたことが大きいです。チェーン店とか軒並み死んだんじゃないでしょうかね。調剤基本料も1ではなくなっています。なので薬局は憑き物が落ちたかのようにプライバシーを捨て去りました。もうプライバシー守っててもボーナス加算されないからね。露骨すぎんだよ。
調剤基本料が1(41点)ではなくなったので管理指導料も38点→41点の純粋な値上がりではなく、6ヶ月以内の処方箋であるにも関わらず例外処理の53点になりました。なんていうか……うん。少しでも安くしてたまるかみたいな怨念を感じますね。
物を動かしたら元に戻してください
借りたら返しましょう
広げたら畳みましょう
動線にものを置くのはやめましょう
一時的に置いたのなら、片付けましょう
ゴミは捨てましょう
出したら、しまおう
というようなことをずっとずっと言ってるんですがなんか毎回言い過ぎて保護者口調というか命令というか窘めというかもうはっきりいってめんどくせえからわたしが全部やっちゃってるんだけど、もう過保護耐性というかなんていうか、そんなことやっても結局わたしが居なくなって穴空いても誰かが産められる程度のものだから意味を成さないと言うか、もうほんと、なんていうか、むなしい
むなしいわ