「チミのデキのいいオツムなら一生賭けてもシェリィドラッグは理解出来ん」
精神科専門療法の点数は5分以上30分未満は全て同額。
30分以上になると少しだけ上がる。
なら5分で患者を回す、そりゃ分かる、儲かりますよね。
わたしはね、ほとんど精神科医を信用してないわけなので、べつにお話する時間が短かろうがいいんですが、「最近どうですか」「変わりないです」の中に一体全体どれくらいの情報を彼らは得ることができるのでしょうかね。ふしぎです。
といつもの精神科バッシングをしてから、今回は明細書が違ってた話です。
チョイチョイあるんですよね、精神科の明細が間違ってること。
分かってればその場で即指摘します。昔朦朧としていたときは薬局に行ってから薬剤師に指摘されて初めて気付いたり、家に帰ってから気付いたりしました。薬剤師の方が病院に抗議の電話を入れてくれたこともありました。その優秀な方は引きぬかれてしまったけれど。
今回間違っていたのは薬局の方で。
どう考えても料金が高い。うーん。と悩みながら、明細書を貰ってないことに気付きました。領収書と明細書が別々なのですが良く渡し忘れられるので(これもおかしい)取りに行って事情説明。明細をもらって初めて気付いたら時間外手当がついてる。エー。時間外じゃないデスヨー。でそれを指摘したら数十分後にお金が戻ってきたんですが、
「明細書ください」
「(間違えてたところに二重線ズバー)はい、どうぞ」
エー。それ請求時に詐欺れませんかね。
(言うには、時間外手当のチェックが勝手についてたと仰ってたんですが、それならPC立ち上げ時から、いやもっと前、前の時間外だったときからずっとつきっぱなしだったら、恐ろしい人たちが時間外手当の分を払ってしまってるんじゃないかと邪推してしまうけれど、邪推の域を超えないので終話)
ふとした拍子に、
電球がぱちんと消えるみたいに、
スイッチを押すみたいに、しにたいとかぜんぶどうでもよくなる。
どん底まで落ちるのは簡単だ。
次はさらに又下まで落ちるんだろうし、その次は更にそのまた下へ。
わたしはずいぶんと前から頭がおかしい。
きっと脳もおかしい。おかしくなければ辻褄があわない。
おかしいことに辻褄を合わせなければならないことが尚更おかしい。
それがわかっているから非道でおかしい。
すぐに精神が疲弊する。最大値が少ないんだろうか。
もしかしたらわたしは人格を増やしたのではなくただ分裂させただけかもしれない。
確かめるすべはなにもないけれど、確かめるひともだれもいないけれど。
JUGEM独自タグ(https://jugem.jp/manual/manual.php?mode=r01&_ga=1.214643607.1697735052.1470969476)なんてものがあるのを初めて知りました。
わたしJUGEMブログ何年使ってるんでしょうね。
さてゲーム用ブログのぱんだこを今回忍者からはてなブログに移行したことをきっかけに、それぞれのブログを触っています。否、触ってたら移行した、の方が正しいのかしら。諸事情ではてなブログをいじっていたら忍者よりもいじりやすかったというか、忍者は不満点はないのだけれど、強いていうならはてなの方が最近のニーズ的には書きやすいというか、いやそもそも以下略。
毎度のことながらわたしの文章はひたすら思いつきだけで書いているので構成とか知ったこっちゃねえんですがそれぞれのブログをカスタムした時のわたし的メリットデメリットをだらりと書いていきます。忍者ブログについては触っていたのが相当昔になるので最近の仕様はあんまり知りません。
■忍者ブログ
広告が少ない。携帯からの閲覧時も広告が非常に少ない。
画像の挿入とか投稿に少し癖がある。
アカウント一個あればなんでもサービス使えるので総合的に見るとちょうべんり。
(但しサイトに入る広告がテキストタイプなので物書きには死活問題)
■JUGEMブログ
あいしてやまぬ。文字書くだけならまあ便利。エディタも使いやすい。
画像の挿入はたぶんしにくい。ほとんど使わないので気にしてない。
HTMLを直で触れるのでデザイン変更めっさやりやすい。ただSEOには弱い。
PC版とモバイル版のデザインは完全に別物なので管理も楽。モバイルはデフォルトで充分。
モバイル版の広告が追従するのがしねと思う。
■はてなブログ
書きやすい、とても書きやすい。そして画像も挿入しやすい。
書くことに特化している分デザイン関連がくせもの。
CSSを追加していく式なので、CSSが肥大化する。重たい。
有料プランのみ変更可な部分が大半を占めてるので気に入ったデザインを見つけるしかない。
SEOではFC2と二強。最近はやってるんでぐぐれば大体のことは解決する。
となりました。いかがでしょうか。なんの指針にもなりそうにないですね!
世間的にはWordPressで話は終わる気もします。
精神障害は社会にはとても認知されにくいのでクローズで仕事を探すが中々見つからず、それではオープンで探せば見つかるのかと言われればお祈りを食らう毎日。そんな中颯爽と現れる仲介屋、それが就労支援。
(だったらいいね!)
幾つかの事業所、センターに行ってきました。
就労支援はそのサービスによって分かれており、一般的な企業参入が行われたのは就労移行支援事業所になります。市区町村が運営している就労支援サービスなんかもあります。どちらも基本的に無料で利用することができるようです。(事業所は所得制限、市区町村は住民票がそこにあるかどうか)(だったかな?)
ちなみに就労移行支援事業所は発達を精神に含んでました。就労支援では別枠でした。
就労支援ビジネスのざっくりとした基本的な流れは以下です。
登録→面談→訓練&ハローワークとの連携での就職活動支援→職場見学(実習)→定着支援
ここでわたしが特に気になったのが職場見学(実習)でして。
1,体験実習自体は無償で行える
2,期間は3日~長いと2ヶ月ほど
3,交通費や昼食は自腹
4,実際に会社で行われている業務を行うことが出来る
……はい。はい。無給やね。無給や。タダ働きだ!!!
「実際の会社」で「実際の業務」を「数ヶ月」行うのに無給ですって。衝撃的すぎてポカーン。
まあ企業と障害者の意思を酌むならこうも読み替えれますね、というかこう読み取りますね。
障害者「働きたいけど自信がない。もし実際の会社で合う合わないが出てきたらどうしよう。何日かタダ働きでもいいから雰囲気を知りたいし、その何日かで自分をアピールできて障害者でも雇ってくれるとか思ってくれれば万々歳だ」
企業「雇いたいけど精神だと何かと不安だ。数日働いてもらえれば採用する前に人柄を見れるし、何より働きを見れるから精神が正常に動くかどうかも見定められる」
但し無給だ。
就労支援事業所自体も通所自体は無料だけれど通所している最中お金が出ることはないです。週三日、多ければ週五日通います。朝から晩までの場合もありますし、それが以後の就職活動に出席という形で現れるらしいので出欠は何より重要です。企業に、この人は勤怠に問題がない、として紹介したいのでしょう。
でもなにより無給です。その最中の生活費とかはどこから出るんでしょう。
YES、年金+実家済。もしくは生保。
これ以外の選択肢はないですよね、だって暮らしていけませんもん。
そしてわたしは上記をこう解釈するに至りました。
障害者「働きたい姿勢アピール」(但し働かない)
企業「雇いたい姿勢アピール」(但し雇わない)
就労支援「おいしい!」(おいしい)
まあ、行けば分かる話なんですけど、就労支援を利用してる利用者の目死んでますからね。
毒親の話。あくまでわたしの体験記。
幼い頃から倫理観や価値観、人格や人生を否定される。否定されるならまだしも壊される。選択権も奪われる。
例えば、あれしたいこれしたいはあれもだめこれもだめになることを知っているので、はなから主張しない。隠して押し殺す。そのうち欲は消える。幼い頃から欲の消し方だけは覚える。
価値観も壊される。否定され続けるのだから正解が見つからない、見つけられない、見つけようとも出来ない、あるはずもない、探すのが間違っていると思う。探すべきではないと思う。
選択権もない。気分で与えられ奪われ、そのうち、受け入れる。
全部だめだめちがうちがうって言われ続けるのに、あなたはダメな人間ね、という言葉は受け入れる。すとん、と奇妙に体の奥に落ちる。落ち着いてしまう。ああそうかわたしはダメだったのか、という着地点に安堵する。ほんとうに奇妙なくらい、この言葉はわたしにするりと入ってしまう。
価値観がなくなると、わたしは(あくまでわたしは)他人に価値観を求める。
他人の評価こそが絶対になる、そりゃそうだ。自分の中での正解がないのだから他人の中の正解に身を委ねたとしても大して不思議ではない。他人の倫理、価値観、人格、人生、決定、選択、哲学、あらゆるものが水準となる。自己の中に基準は一切ない。自分を図るものさしは、相手が握っているのだ。
そして残酷なことに毒親に育てられているので、この他人=毒親になってくる。
ああ、ざんこくである。なんということだ!
しかし社会に出てる以上(割と軟禁されていたけれど)お外の常識を知るに連れて毒親の価値観が可笑しいことに気付く。ここまでで幼稚園くらい?
で、常識が複数になった後の話。
複数の常識から正しい常識を選択し、それを決定できる時点でいくばくかの余地はあるし救いもある。
いやそもそも正しい常識たるものを選べる時点でその人は複数の常識の中には生きていないのではないのだろうか。
なぜならわたしの考えは間違っていて正しいのだから。
結局のところ、最も正しい価値観を持っている相手に頼る=結婚出産エトセトラ。逃げ切った人たちで結婚をしていない人はわたしは聞いたことがない。
わたしは最近少し他人と関わることがやっと増えたから、いろいろ考えることも多くなったし、思ってもみなかったことが案外簡単にできたりして、わたしすごいなあと思うけれど、なにやってんだとも思うし、ほんとなにしてたんだよとか、全部むだだよとか、逃げ出したくなったり、投げたくなったり、やっぱり意味もなく悲しんだりもする。
たぶんだけれど、壊れてしまった価値観は、直らないのだとうっすら思う。
理解はできるけどうまく飲み込めない。分かっているけど動けない。だから、分かっていないのかもしれないし、あるいはほんとうにまったくなんにも理解していないグズなのかもしれない。
毒親から逃げられた人って、
「親は大事にしなければいけない」「一生面倒みなければいけない」という常識と、
「自分の人生は自分のもの」「毒親にふりまわされたくない」の、双方正しい論理。
この複数の常識から何故自分にベストな方を選べたのか。
逃げるという選択肢はほんとうに自分の中から生まれ出づる感情だったのか。
わたしはね、親がすごく困ってたら、自分の身を引きちぎってでも救っちゃうと思うよ。
それはきっと間違っているんだろうけど、意思とは無関係だとしても。
これを親も心の底では気付いてるから、わたしはほんとに救いようがないよ。
救われないのは子だけだよ。
リーマスは飲んでからすぐに大便がドブ川をかき混ぜたような臭いになって、顔が脂でべったんべったんになったのですぐに服用停止。
サイレースのジェネリック、色付きも、飲んだら気持ち悪くなるようになってしまった。サイレースに関してはジェネリックじゃなくしても色付きのままなので無理して飲んだら、しばらくしたら落ち着いたけれど、なんだかやはり落ち着かない。うえっ、て感じ。
毒親(母)の体重が四十を下回った。
あと数キロ痩せたら要入院。
食べている量はわたしと同じ。間食する分わたしより食べてるかな? 運動量はあまりなく、聞いたらお通じがものすごく宜しいようで。
これ以上痩せたら入院コースなので、あなたが入院したらわたしは引越します、と。
身の丈に合わない家賃は払えませんゆえ、引越します、と。
母が介護が必要な体になればわたしは大義名分の元に今度こそ姿を眩ませられるだろう。
一度は失敗した。憐れんだから。
でもこういう時にわたしの人生はわたしにはやさしくない、いつもいつも。
とにかく今はお金を整理して、引っ越せる準備だけはしておきます。
ジプレキサを辞めたら切れ痔が治ったという話。
は、主治医にはしていない。
というより確証がないので言い切れないけれど、エビリファイを飲み始めた時期や、ジプレキサの時期、そんで切れ痔自体の発生時期とか治った時を見比べてると、飲んでる時期に切れてる事が多いなあってほんと思う。
切れ痔って医者に行きたくないけどとんでもなくケツが痛くて、切れたら暫く椅子に座れないほど痛くて、揉んで揉んで、それでもトイレ入ったら即★終了みたいなやつで、とんでもねえやつなのに、恥ずかしくて誰にも言えないっていうね。
抗鬱剤って粘膜系統に異常をきたすことが多い気がするから、その派生かな?
DE(で)
処方されたのはリーマス。
もうわたしも二十年通っているので、飲んでいない抗鬱剤とかほぼない。
投薬中止した理由は定かではない薬も多いので二周目も試してみることになった。
懐疑的だけれどね。
そもそももう治らんだろうなと気付いてはいるんだよね、わたしも周りも。
だからもうどうしようもないんだよね。
あとわたしサイレースのジェネリック飲んでるんですけど、近年の睡眠薬犯罪云々の所為で色付きになりました。えっ、いまさら? と思いましたが今更です。水に溶かすと青くなるらしいです。今更感溢れてますよね。