「チミのデキのいいオツムなら一生賭けてもシェリィドラッグは理解出来ん」
わたしはいつもスニーカーとズボン。スカートや踵のある靴は履かない。ボトムスの傾向としてはそんな感じ。理由はずっとおんなじ。
いつ何が起こるかわからないから走れるように、動けるように、逃げれるように。
こういうことを言うと必ず言われることがある。
「何かって、何?」
理解されるのは難しいことだと思う。わたしは理不尽な目にはこれでもかというくらい遭っていて、要するに失敗体験のほうが多いのだ。理不尽な目に遭うという目的だと成功体験だけれどな。まあだから経験論というか、わたしの経験値的に言えば何かというのは起こるべくして起こるので、起こった時に対処できない服装でいるのは止めようという本能染みた行為だ。
これは虐待とかいじめとか可愛らしい言い方をすればそういうことで、もっと言えば暴力行為から身を護る方法。そしてトラウマでもある。今まさに起こるとは限らないけれど起こらないとも言い切れないので服装の制限があるというのはむしろトラウマである。こうやって昔起きた虐待やいじめは後の人生においてずっと尾を引くことはあるので、数年我慢すればいいとか思ってる人は間違っているというのをわたしは言いたい。フラッシュバックとかもありますからね。長い人生一度もスカートを履けずに終わるとか女としてどうなのかなあとか、一度でいいからヒール履いてみたいなあとか思ったりもするのに、逃げられないという理由で履けないって相当どうかしてると思うぞ。
いや、まじ。
ヒールは履きたかったよ。
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