「チミのデキのいいオツムなら一生賭けてもシェリィドラッグは理解出来ん」
発達障害を精神障害にカテゴライズするのは駄目。
更に言えば発達障害を障害者とするのはもっと駄目。
発達障害は少なくとも病気ではない。障害者の定義が「生活に著しい制限がかかる者」であり尚且つ「支援及び介助がなければ生活することが不可能」なのであれば発達障害は障害者ではなくなる。
身体障害者が車椅子を使用しても足がある人と同質の行動は不可能だろう。
そういった意味で支援と理解さえあれば日常生活を営める発達障害は障害者としては適さない。
大人になってから発達障害がわかった、等とのたまう人がいるがそれは障害者でも病気でもない良い例だ。だってその歳になるまで違和感のみで生きてこれたのだから。そして気付かずに過ごしていけたかもしれないのだから。多くの障害者は気付かずに等不可能だ。足がなければ耳が聞こえなければ希死念慮が蔓延していれば、多くは生きていけないし疑問に思う。
そもそも発達障害には日本人は特に当てはまると思う。七割以上は発達障害なんじゃないかな。あれって定義がとても曖昧で日本人なら当てはまるような項目ばかりだ。だってここは島国だしね。そうなるとマジョリティになるのだからマジョリティが障害者を名乗るのはおかしい。マジョリティな時点で障害者ではなく、健常者だ。
特例子会社が発達障害だらけで障害者雇用も軽度や発達障害まみれ。となると助成金の所為で開所と倒産を繰り返すA型か、工賃で働かされるB型で働くしかなくなるのならわたしは一般雇用を目指すよ。でも働いている環境に理解者がいるって憧れるんだよね。わたし月イチで病院行きたいもの、今は隠して行ってるから悪いことをしている気分だよ。まあ生理休暇も公に言わずにこっそり取るけどね。あんなもん公に言えるわけないだろ。生理なんで休みます、病院行くんで休みます、これを正直に言えたらどんなに楽だろうかっていつも思うよ。
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