「チミのデキのいいオツムなら一生賭けてもシェリィドラッグは理解出来ん」
純然たる悪意の記事を書く前に相対的感性の話をする。
感性とか、まあ正義とかも同じ話なのだけれど、相対的と絶対的なものがあって、これは恐らく生きていく上でなんとなく使い分けているのだろうけれど、白日のもとに晒された時、相対的感性というものはとても弱い。逆に集団の中で生きていく上では相対的感性の方が強い。
何が絶対で何が相対なのかと言えば無論他人と比べて、なので、比べる対象のない事象では絶対的感性の方が強いというのは当たり前の話である。
ここがもし相対的であるならば自分が落ちていく際に受け入れられず脆く壊れやすいだろう。
ただ集団の中での相対的感性というものは常に周りと、特に下を見て生きているので、下ありきの世界なものだから、もし自分より下の居ないヒエラルキーに属してしまったときに悲惨だ。そのために人は無意識に自分よりカーストの低いものを作ろうとする。これは集団で生きる上で当然の行為である。ただそうなってしまえば何と比べて自分は正しいのかを正しく認識できてこない場合が多い。弱いものより強いから正しいということになってしまう。ただの畜生と変わらない。
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