「チミのデキのいいオツムなら一生賭けてもシェリィドラッグは理解出来ん」
数年ぶりに実家近辺へ戻りました。
理由は歯医者です。歯医者はやっぱり馴染みじゃないとダメです。
一箇所だけ虫歯になりそうな部分がありましたので、歯石取ってちょっと削って終わり。
歯石は上下いっぺんに取ってくれるし、非常にリーズナブル。ありがたい。
わたしは実家近辺になんの思い入れもないと思っていたのだけれど、数年ぶりに帰ってみたらなんとなくこみ上げるものがあって、それは実家近くに流れる川を見たときでした。正直ろくでもねえ思い出しかないんですが、町並みとか店とか人とかよりも、なんの飾り気もないただの川を見た時に、ああ、どうしてわたしは、ここを離れなくてはいけないんだろう、と切に思いました。
わたしは幼い頃から「なんで?」の子でした。
でも答えはありませんでした。両親がカルトに狂っているのに当時のわたしが納得できる理由もありませんですし、彼らがなぜわたしを虐待するのかもわかりませんでした。
それは理解してはいけないことでしたが、幼いわたしは良く咀嚼して飲み込み、精神を崩壊させるという消化方法に至ったわけです。
わたしが今母と生活しているのは、母と生活していれば父との生活からはまず間違いなく逃げ切れるからです。これが両方の親から逃げ切るとなると熾烈を極め、実際一度失敗していますので尚の事彼らは警戒し、わたしは臆病になります。それにもしわたしがふたたび逃げた時、彼らはわたしを探すという名目の上結託するでしょう。しかしながらわたしが片方につくことにより結託を防ぎ、そしてある程度分裂させ続けることが可能になります。そういった打算を含め母と暮らしています。母と暮らすのは精神的苦痛ですが、父と暮らすのは肉体的性的苦痛を伴います。どちらがいいというわけでもどちらがマシというわけでもなく、両方に捕まるくらいならば片方につき、敵の敵から確実に逃げることを選択したわけですが。
一体全体なんで、どうしてでしょうか。
わたしの人生はずっと歪です。
ねえ、わたしはね、談笑して晩御飯を囲むなんて知らない。
知り合いは皆わたしの父と母を称えるけれど、それは彼らのパフォーマンス。外面はいいから、信用されるのはいつも両親ばかりでわたしは嘘付き呼ばわり。わたしだけが真実を喋っているのに、わたしだけがいつも迫害される。住みたい場所から離れ、住みたくない場所で生きざるを得ない。ただ彼らの死を望む。彼らの死だけが、それだけがわたしの証明になるのだ。わたしが正しいと、わたしは間違ってなかったと、間違ってなかったものこそが生きたのだと、それだけが証明なのだ。
ただわたしが先に死んだとしてもわたしがそれを証明できなかったというだけであって、彼らが善だという証明にもならないからそこはもうどうでもいいやと常々思う。
でもほんとうに死んでほしい。実の娘が言うよ、君たちはもう死んでくれ。
わたしのために、死んでくれ。
なんでとどうしてが綯い交ぜになってわたしはよくわからない。
ほんとうに川はろくでもない思い出しかないんだ。小中学校ずっといじめられたから、そういう悲惨エピソードは山ほどあるし、犬の糞はたくさんあるし、草すべりして事故ったとか、薬で太った時に勢いだけで走り込み始めて結局巻爪になったとか、薬中で病院行く時に通いまくったとか、何度も泣いたこととか、何度もリスカしたこととか、それでもどうしようもなかったこととか、マイナスの要素ばかりでろくでもないんだけれど、それがなんにもかわってなくて、ずっと川で、ずっとずっとただ、変わらずにあって。
どうでもいい思い出しかない川だけが、わたしを涙させた。
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