「チミのデキのいいオツムなら一生賭けてもシェリィドラッグは理解出来ん」
「出来ます出来ますという人は信用ならない、採用しない」という発言を聞いて思う事。
ならば出来ませんと正直に言う人は採用されやすいのかと問われればノーです。
出来ないのに出来るとボカした方が採用されやすいので皆出来ますと言うのです。
面接なんて9割は騙し合いですが、実は騙し合いには前提条件があって面接ではそれを一切満たしていませんので、騙し合いというよりも嘘合戦と言ったほうが良いような気がします。見抜ける人が居ないんです、面接官側に。むのうです。言っちゃアレですが人事ってほんとうにばかですよね。離職率が高い原因のひとつだと思いますよ、ミスマッチングっていうのは。
出来ませんと言えば端から弾かれます。
出来ないのに出来ると言えば、とりあえず場には立てます。
そこから嘘の吐き合いが始まるわけです。
でも場に立たないことには変わりがないので兎にも角にも「出来ます」と言わないことには始まらないのです。これは面接のダブスタが生んだ悲しき風習であり、そして更にこのダブスタは続くのでした。
出来ますと言って場に立った後ですが。
ここで本来本当に出来るかどうかの精査を行わなければなりません。しかし人事はあほなのでこの精査を行うことが出来ません。出来る人を出来ないと精査することも多々ありますというか、わたし結構、出来ないって判定されること多いんですね。まあ理由はなんとなく分かるんですが、わたし本来の性分として200%くらい出来ることしか出来るって言わないので、もう出来るって言って場に立っている時点で超絶出来ることしか言ってないんですが、それでも出来ないと判別されることが多々あります。スキルチェックとか派遣であるんですが、タイピングに関してはいつもスゲー驚かれて、んでもって言われるわけですよ。
「この半分以下のタイピングでも出来るって言う方はいますよ」とか。
人事があほで精査が正常に機能していないと、出来る人間を落とし、出来ない人間を雇います。雇ってしまってから実は出来なかったとバレてミスマッチングだなんだと離職することも多いでしょう。でも本来は人事が面接時に弾く場面です。自分たちの精査不足です、自分たちの能力不足です。しかしそれを認めず、「出来る出来るというやつは信用しない」と面接の場に立った人を非難するわけです。本来非難されるのは見抜けなかった人事なのにね。
最近は離職率の高い職場というのは職場自身に問題があるんじゃないかとブラック問題で言われてきましたが、やはり組織の入口部分である人事も相当あほだというのは面接を通して痛感していますので見直すべきじゃないでしょうかね。昔は人事と言えば花形でしたが今の人事は窓際ですからね。
未だに手書きの履歴書がいいとかいうあほもいます。いや手書きで何が分かるのかな、分かるのならそれ生かして占い師とかにでもなればいいよ。パソコンの履歴書の方がよっぽどスキルあるかないかの精査出来るじゃん。パソコン使わない手書き主流の現場ならいいと思うけど未だにそんなんありますの?
結局面接で受かるかどうかの判断って1/10くらいの人に「なんか波長が合う」とか「一緒に働いてみたい」とか運命の出会いみたいなことが起こるかどうかみたいなところだと思うんですね、要するに運。いろいろ策を講じて確率を上げてみたりするけれど、結局は運。運命力。もしくは縁。
なので「出来ますという人は信用ならない」というのは「出来ますといった人間を精査する目がない」と自分で言っているようなもんなので、程度が知れますねという話。
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