「チミのデキのいいオツムなら一生賭けてもシェリィドラッグは理解出来ん」
わたしは幼い頃に心身壊れてしまったし、その後もずっと長いこと引きこもっていたから大きな思い違いを一つしていたことに気付きやしなかったのね。
わたしは世間一般に生きている人々というのは上等だと思っていたの。
彼らはきっと誕生日を祝ってもらってクリスマスにはプレゼントを貰って、習い事だってしたいことを出来たはずだし、中学高校大学大学院と進学できただろうし、就職だって社会に難なく出れるのだからそれなりに出来て、人付き合いや社会的信頼みたいなのも手に入る上等な人だと思っていたの。
当然わたしよりずっと知識も理解もある。だって当然、場数が違うでしょう?
歩んできた道が上等ならば、そこに居るのは上等な人のはずでしょう?
でも実際には違っていた。
違っていたのはわたしだった。
わたしはとても「運の悪い」、タイミングや間の悪い人間だったのだ。
この世の中は愚かな人の方が生きやすい。生きることに疑問すら抱かない人の方が生きやすい。なんの疑問もなく与えられるものをひたすら口に運び、口答えせず、無知で、何も見えない人のほうが、生きやすいし病気にもならない。
その年になるまで何をしてきたの、と問いたくなる人のほうが健康的だ。
彼らが上等ではないのではない。わたしが運が悪かっただけだ。彼らが気づかないことにわたしは気付いた。彼らが傷つかないことにわたしは傷ついた。彼らが見ないことをわたしは見てしまった。聞こえないことを聞いた。だからわたしは運悪く、病んだ。見ないほうが聞こえないほうが知らないほうが生きやすい。けれどわたしは知ってしまった見てしまった聞いてしまった。だからわたしは生きづらい。
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