「チミのデキのいいオツムなら一生賭けてもシェリィドラッグは理解出来ん」
どこかのネットの記事で見たのだけれど、昭和生まれが独身のまま平成を飛び越すことを平成ジャンプと言うそうですよ。ほんとうにこういうセンスは光っていますね。
つまりわたしは平成ジャンプです。
まあそれどころか種を繋げていくことすらしませんので、着地点のあるジャンプのほうがマシなのかもしれません。わたしでこの家系は潰えるんでしょうけれどそんなん知るかって感じですよね。
これから増税も待っているし税金払うの辛いし、未来には希望もなんもねえです。
ほんの少しでも、ほんの僅かでも良いから、明るい未来がほしい。
しあわせになるには何かを失うことだと講釈垂れた映画を見た。
それがほんとうならばわたしはすでに大きな幸せに包まれているはずだし、
そうでないのならば、端から何も手にしてない人にはしあわせは訪れないことになるから、
失ってから初めて気付くしあわせと同義語の詭弁だと思う。
聡明な人は、失わなくてもしあわせには気付くし、馬鹿ではなければ、自分の置かれている状況がどんなにしあわせとはかけはなれていて、ここからどんなに足掻いても到底通常の人間の言うしあわせとやらには届かないことくらいは、わかっている。
人並みのしあわせを手に入れるには人並みの環境で育たなくてはならない。
小さい頃はぼんやりと、将来なんとなくだれかと結婚するのかと思っていたけれど、両親を見ていて、ずっと見ていて、ずっと罵声を聞いていて、夫婦というのはろくでもないし、ろくでもない夫婦に生まれた子は不憫だし、かわいそうだから、世界で一番しあわせになってほしいわたしの子供は、わたしが産むべきではないのだとずっと思っている。
現在、新しいコメントを受け付けない設定になっています。