「チミのデキのいいオツムなら一生賭けてもシェリィドラッグは理解出来ん」
凄惨な事件が多い中上のような言葉を見かけることが多い。
まあ、間違ってはいない。正論でもある、ただ、正しくはない。
意気消沈して自殺を選ぶ人には無縁の世界の話だが、この世の中に恨みつらみのある人が上のような言葉を言われた時に、「なんで自分が?」と思うんだ。「なんで」はずっと心の中にある言葉で、「なんで自分が?」「なんで自分だけが?」と思う。人は不思議な生き物だから、なぜか自分だけは不幸にならないと思っている。けれど不幸な目に遭った時に「なんで自分が?」と思いがちだ。本来なら不幸は誰にだって訪れるのに、大抵の人はなぜだか自分だけは不幸にならないと盲目的に思っているフシがある。なので不幸な人間を叩けるわけだ。
ナンデナンデドーシテに追われてる人には自分ひとりで死ぬという意見はまかり通らない。
死ぬのなら一人二人、いや大勢連れてってもいいだろう。
こんな目に遭っているのだから、未来有望なやつだとか、不幸とは無縁のやつだとか、そんなやつを道連れにしても、なんのバツも当たりっこない。
と、思っているのはわたしである。
つまりわたしは無敵の人予備軍である。
無敵の人言うてもそんな無敵の人を作り出したのは結局の所派遣法とかそのへんなんだから、無敵の人を抑制するために派遣に委託っていうのはもう残りカスまで絞り尽くすっていう意味だから、やっぱりこういう事件は増えると思うし、増えないとしてもこういう思考を持つ人は増えると思うよ。出来ることと言えば氷河期世代には無審査で生活保護配りまくるとかじゃないかな。最低限生活の保障さえあれば犯罪の抑制にはなるのだから、もう社会復帰など本人も企業も諦めているのだから生活保護を配るなり安楽死させるなりが一番の解決法にしか思えないほど、もうこの世代は疲弊している。
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