「チミのデキのいいオツムなら一生賭けてもシェリィドラッグは理解出来ん」
最初に言っておきたいことは、わたしはあの騒動については正しいとは思っていない。正しいことを言っているかもしれないけれど言っている人が正しくないからだ。それは実証できないし、なんにせよこの問題は問題として扱うにはあまりにも奥が深いし、日本で生きていく上でどうにもならないからだ。なので今回もめていることは正しくはない。
パンプス……というか、まあ化粧とかスカートとかストッキングとか全てにおいて言える話なので、今回なぜパンプスだけが取り上げられたのかよく分かってはいない。たぶん丁度良かったんじゃないかなって思う。皆痛い思いをしているからね。よく「ハイヒールとパンプスは違う!」なんてばかみたいな文を見るんだけれど、外反母趾になったり一日中履いてるのがきつい時点で同じだと思うんだ。「男だって革靴はつらい」というのもばかみたいで、これはそういう問題じゃない。
事の奥底の話はあとで話すとして、わたしの体験談を書きたい。
わたしは足が大きい。背もでかい。胸もでかい。
なんで、サイズがない。全体的に、ない。
日本の服はどうして裾丈がこうも短いのか。モデルが小さすぎるんじゃないか。
(足りてれば切ったり縫ったりすればいいけど、足りないのはどうしようもないね)
とある企業に応募した時にストッキングとパンプスが「必須」だったことがあって、まあそこは落ちたのだけれど、その当時わたしのサイズのパンプスっていうのは市場に出回ってなくて、その旨を伝えても「必須」と譲らなかったので、まあむりだったのだけれど。
なんか服の裾丈はまた違う記事で書こうかな、たぶん長くなるから。
で以上を踏まえて。今巷の話題の根底を言いたい。
「強制」はされてないし「就業規則」に盛り込まれているところは少ないだろうけれど、同調圧力によって「強制」されているのだからパンプスひとつとってもどうしようもない。
これって結構大切だけれどどうしようもない。
日本という島国がこういう教育を昔からしてる。空気を読んで周りに合わせてなんたらこうたら。別に日本をさげたいわけじゃなくて、こういうもの、こういう雰囲気だから仕方ない。こういう教育しかできないのだから仕方がない。周りがパンプスなのにパンプスを履かないのは非常識だ。9人パンプスを履いていたら残りの一人はパンプスを履かなければいけない、その1人が強制されていると感じればそれはもれなく強制だが同調圧力をこの国からなくすのは無理だ、不可能だ。それこそ今話題のLGBTとかいうばかみたいな集団と同じ言い分になる。女は女らしく、男は男らしくするのがマナー、常識、普通。だからパンプスひとつ取り上げてクツーとか言うのは阿呆みたいだし、言ってる方は怪しい団体と同じ母体ってことだ。
パンプスが苦しいと言うと必ず「わたしはパンプス好きで履いてる」みたいな輩が出てくる。
知るかぼけ、と思うが、こういう人種は何故かどの界隈でも湧いてくる。
業者かなにかだろうか。
少なくとも今回の問題提議はLGBTとかフェミとか人権団体とかと同じ根底を持っているので、正しいかもしれない、パンプスは痛いから履きたくない人は履かなくていい世界になればいいという精神は正しいかもしれないのだけれど、言っている人間と言っている界隈が正しくないので、正しくはないとわたしは思う。個性と同調圧力は共生してゆくことは不可能だ。個性がまかり通ればルールが死ぬのだ。
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