「チミのデキのいいオツムなら一生賭けてもシェリィドラッグは理解出来ん」
なんのための税金なのだろうね。
法人税あげたら会社が逃げるからだめですという意味なら、消費税を上げて個人を殺すことは可と事実上仰っているのと代わりはない。けれど労働者なくして会社は動かず。
こんなんじゃ消費できませんよ。
ところで氷河期向け求人10人に対して2000人以上の応募があったみたいですね。
わたしがついったーを見ている限り、この求人の存在は知りつつも募集していない層もいるので、200倍を遥かに上回っていると思われます。わたしも応募はしていませんが、なんていうか、うん、余ってるよなあ、生産人口、と思いますよね。いや事実余っているだから仕方のない話。
老人はよく「努力が足りない」というけれど、彼らは運がよかっただけ。
氷河期は運が悪かっただけ。
でもそんなことは言わない。決して運のせいにしない。
なぜなら自分たちの能力にしたいから。努力を運のせいだとしたくないから。自分たちが今豊かな暮らしをおくれて年金を受け取っているのは自分たちが努力をしたからだと思い込みたいから。そして努力をしていない氷河期マウントを取りたいから。
今のこのご時世、まだ「努力が足らない」と氷河期に言う。「我慢が足りない」という。
氷河期を雇わなかった会社は重要なポストに有効な人材が足りていない。氷河期が子供を産まなかったので出生率は下がり、氷河期がものを買わないので車も家も売れない。今まで氷河期に向かって言ってきた「自己責任」はほんとうは誰に向かって言うべきだったのだろうか?
(というか氷河期マウントって被害者マウントと似てるよねってずっと思う)
(被害者の方にも必ず原因があるだろうっていう思考がね)
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