「チミのデキのいいオツムなら一生賭けてもシェリィドラッグは理解出来ん」
レジ袋有料化については環境問題的にもおかしい部分はあるけれど、レジ袋代が既に商品上乗せで単なる便乗値上げという問題もあるけれど、ただ単純にレジ袋の利益を得たいだけだろという突っ込みもあるけれど、それはさておき実体験からのお話をしたいと思う。
販売利益を上げたいと思った際に、利益をあげようと思うよりも、機会損失を減らしたほうが、結局のところ利益は上がるということだ。
(機会損失は、例えば店側の事情、売り切れとか在庫切れだったり、お客様を逃してしまうような状況のことを指す、と思う。本来得られるはずの利益を何らかの事情により逃してしまった損失、だと思う)
(経済用語ですよね、違ってたらごめんなさい)
今回のレジ袋は機会損失の大きな例だ。まあ全国一律だけれど、もしこれが特定の店だけレジ袋有料化なら客はレジ袋無料の店に流れる。どこかの店舗がそれで一ヶ月300万近い損失を出したと聞いた。たかが数円でも失った客は戻らない。
最近では決済方法の多様化に伴い、決済方法が整備されていない店は敬遠されてるのではないか。まあわたしペイはよう知らんけど。
利益重視で機会損失を出しまくるとどうなるだろうか?
客が少なくなるので単価を上げなくてはいけない。手に取られる商品は限定化する。すると単価は更に上がる。そういった商品を買う客は特別感を味わう。特別感を味わわせる店員が疲弊する。人が足りなくなり、客足が遠のき、単価の高い商品を抱えたまま潰れる。
機会損失を減らせば薄利多売になるが、客足は継続的だ。在庫切れや売り切れのない場所には客は定期的に通い定期的に金を落としてくれる。利益は長く見込める。売れるので在庫確保も容易い。結果として単価を上げるよりもずっと利益が見込めるので売上が伸びる。
「ちょっと見ていってくださいよ」と声をかける。
これは声がけの常套句。でもなぜこう言うの? だって見ていってほしいから。手にとってほしいから。万人に、見て来て触って買ってほしいから。
なのに最近の店ったらこう。
「嫌なら買うな」
この二つは本来同時には存在しない。
だって見てほしい、来てほしい、買ってほしい。なのに買うな。わけわからんよね。わたしもわけわからん。立派な機会損失なのに、店側は理解していない。これが客を選別する手だと誤解している。優良な客だけ残ればいいと本気で思ってこう言っている。残るのは優良客じゃなくて、誤解した訓練民。ほんとうの優良客を逃すただのくその経営陣。集客をしてから締め上げるというのは愚の骨頂。
目先の利益のために大幅な機会損失を生み出し、結果として自滅する。
最近の小売の自滅理由は大抵これ。
実はものすごく簡単に改善できるというのはたぶん正社員以外誰でも知ってる。
現場でもの売ってる最前列の接客なら誰でもわかってる。
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