「チミのデキのいいオツムなら一生賭けてもシェリィドラッグは理解出来ん」
結局のところわたしが長いこといじめられていた理由の殆どはわたしが無抵抗で居続けたことに由来するんじゃないのかなあと思うんだ。始まりは違えど、流石に中学卒業までは長すぎるからなあ。
わたしはいいひと。
裏表のない素敵ないいひと。
なぜなら頭が壊れていてカルトに浸かっているから善悪がない。
善良なだけの人。
無抵抗な理由は抵抗したところで事態が好転しないからというのもあるんだけれど(この考えは未だにあるよ)(間違ってはいないからね)ただ小学生中学生だったわたしは、殴られ続けることに理不尽さを感じながらもいつかは飽きて止めるだろう(もしくはターゲットを移すだろう)と考えていた。
でも変わらなかった。飽きなかった。殴られ続けた。
抵抗しないからだ。無抵抗な人間を殴るのは楽しい。反撃される心配がいらないからだ。彼らはノーリスクで人をイジメる快感を手に入れた。
いつか止めるだろうというのは結局相手も善良な人間の場合だけで、善良と言いつつ人が見ないところではちょこっと悪事を働いたりツバを吐いたりする小狡い人間は叩ける材料は死ぬまで叩くのだと痛感した。そして大抵の人間は小狡く、いいひとというのは言ってみればツチノコレベルで存在しないと思われていると知る。
大概の人は裏表があるのでいいひとにも裏表があると信じ、ない裏を探すのだ。
人に釘を指したり忠告をしたり、反撃をしたり復讐をするという行為はいいひとにとっては悪いことだが、未来の自分を守る術だ。全ての仕事をはいはいと受け入れて雪だるま式に積み上がった仕事の前で呆然とするよりは、きっちり線引きをして一定以上の仕事を受け取らないほうが結局のところ未来の自分を守れる。
いいひとは搾取されるので強くなって悪くなるか、誰かに守ってもらうしかない。友達や大人や配偶者。わたしの周りには誰もいないので、強くなるか悪くなるかしかない。いいひとが搾取されない世の中ならどんなによかったんだろうね。
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