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SHELLY DRUG is glorious.

「チミのデキのいいオツムなら一生賭けてもシェリィドラッグは理解出来ん」

  • 2020/07/01 Wednesday

LGBTのカミングアウト

余談だけどわたしはもうアセクシュアルのようなもんなんだけれど、LGBTの団体はアセクシュアルを排除するからそんなに好きではないよ。


あるゲイに関わる健忘録。


ようつべで応援してる人がいた。応援というかファンというか。どう見てもどう考えてもその人はゲイだったけれど、直接ゲイだとは言わなかった。ファンの人も薄々気付いていたけれどあえて触れていなかった。たまに触れるリスナーもいたけれど笑ってかわしていた。わたしを含めたファンはその人がゲイかどうかなんてどうでもよかった、大したことではなかった。もし本当にゲイでも、わたしはあなたという人間のファンなので、性的指向は二の次なのだ。


ある日その人はカミングアウトをした。

ゲイだという。

知ってた、と思った。


その頃ゲイ本人以外による他者のカミングアウト、アウティングで自殺してしまった人がいて、まるでカミングアウトが神聖視されているような状況だった。アメドラでよくゲイだと告白した息子を親が殺そうとするシーンを見るのでアメリカはそうなのかーなんて思っていたけれど、アメリカかぶれのLGBTはカミングアウトを神聖視し、カミングアウトをした人間を讃えている傾向を見る。


でされた側の反応なんだけど。

わたしはもうその人を応援することはできなくなっていた。


それは決してその人がゲイだからではない。

だってずっと前からゲイってのは知ってたの。受け入れてた、というよりゲイだからという理由でファンになったわけでもないし応援してたわけじゃない。でもその人はカミングアウトをした。なぜ?


精神病でもそうだけれどカミングアウトの本質って「わかってね」「配慮してね」「優遇してね」という超絶自己本位な思考に基づいている。「差別しないでね」ではなく「優遇してね」なので、わたしはLGBTの主張は受け入れられない。


その人はその後書籍を出したり歌を出したりカミングアウトの前より精力的に活動している。カミングアウトをしたことにより懐が潤ったんだろうなと邪推する。もうわたしはファンではないし、ファンになることもない。ゲイであることを受け入れてた人をカミングアウトで突き放す。この矛盾さよ。

結局カミングアウトをした勇気あるゲイとして称賛される道を選んだわけだ。ゲイであることを受け入れてくれる人より、称賛してくれる団体を選んだ。


ここは空気の国だから、直接言葉にしなくてもわかることはたくさんあるよ。そりゃ言語化することも必要なことはたくさんあるけれど、性的指向をわざわざオープンにして配慮や優遇を求めるのは少し違うんじゃないかなあと思う。ゲイであることが悪いんじゃない。ゲイであっても人間性を見ている。そしてわたしはカミングアウトをする人間性を疑った。そういう、話なのだ。

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