「チミのデキのいいオツムなら一生賭けてもシェリィドラッグは理解出来ん」
最近ずっとずっと気分が優れなくて。
嫌なことばかり思い出します。
(きっかけは引っ越し+コロナで、コロナの比重が重め)(しかたない)
毎日三十錠のお薬飲んで酒とOD繰り返していた薬中時代も確かにつらかったんですが、それより何よりどうやって中学時代を過ごしてたんだろうといつも思うわけです。いや薬中時代はね、確かに辛かった。正常な意識が戻るのが怖くてずっと薬飲んでた。意識が混濁していないと、現実に向き合わなくちゃいけなくて、シラフで向き合うことができなくて、朦朧とした日々を送っていた。怖いのは、その頃に書いていた小説が未だにわたしの中で傑作なこと。薬中時代を超えられる作品を生み出せないこと。
中学時代はもうね、例えばわたしが強くてニューゲームみたいな転生が出来るとして、生まれ変わってもう一度って言っても、ぶっちゃけ生きられないと思うんです。あの頃はカルトの地獄と家庭の地獄と学校の地獄の中で精神乖離しながら生きてました。
死ぬと盲信して死ぬ気で生きてました。死ぬために生きました。
でも今は知っています。死なないんです。だから生きられないんです。
死ぬ気で死ぬために生きていたので死ななかったんです。
死なないなら死ぬ気で生きないので死ぬんです。
中学時代はそういう生き方をしていたので、死なないことを知っているわたしでは転生しても生き残れないんです。だからほんとうに、あの頃は、パーセンテージの裏側を針で突くような微細な綱渡りをしていたんです、今では再現不可能です。
昔のことが今になっては乗り越えられる平気なこと、みたいな現象は多々あるんですが中学生時代はむりです。ほんと、よく生きてたなって。死ぬためだけに生きていて、そんで死ななかったんですもの。絶望感半端ない。それで薬中にジョブチェンジしたわけですから、順当なんでしょうかね。
ただあの頃の、死ぬためだけに生きている感覚というのはまだほんの少しだけですが覚えているのですよ。わたしは必ず死ぬと盲信していましたから、信仰心に裏打ちされた行動というのは通常の覚悟とは訳が違います。べつに戦争が起きたわけでもないし飢餓に苦しんでいたわけでもありません。ここは安全な日本ですからね。でもわたしは当時真っ直ぐなお目々で言ってたんですよ。わたしは死ぬから、もうすぐ死ぬからって。これ厨二病とかじゃないのが恐ろしいんですよ。だって信仰の裏に潜むはカルトですよ。カルトが言ってたんです、わたしはもうすぐ死ぬのだと。だからわたしはそれを信じて死ぬために生きたんです。
きっと大多数の人間はこれを信じられないばかりか嘘として扱うし、単なる厨二病として扱うんだろうなと思うことがさらに辛いし、それはもうわかりあえないし説明する気も起きない。宗教はすべての感性を変えてしまうんです。それに愚かしく左右されるのは決定権を満たない無垢な子供です。
だからわたしはもうあの頃を生き抜くことは出来ないんです。
死なないことを知っているので、死ぬのです。
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