「チミのデキのいいオツムなら一生賭けてもシェリィドラッグは理解出来ん」
ある時知ったのですがわたしは生まれたときは左利きだったらしいのです。
左利きでAB型という非常に珍しい子だったそうです。
らしいというのは、物心ついた頃には既に矯正が終わっていて右利きだったからなのですが、言われてみれば……と思い当たる節がいくつかあり、そのエピソードを割と大きくなってから聞いて「だからか!」となることのが多かったのです。
結構何かをする作業の時右利きの子とは少し違う持ち方をしてそれを先生に叱られたり揶揄られたりしたのですが、端から左利きだとすれば逆でも納得がいきます。まあできればもう少し早めに教えてほしかったのですが。結構、イジられたんですよね。
社会に出てからもイジられることは多々あるんですが既に矯正終わった身としては左利きなんでみたいな逃げ口上が使えないしそもそも間違ってると思っていないので左利き矯正いじりは外見いじりと同様にしてはいけないものだと周知されてほしいですね。
「将来生き難かろう」という配慮で行われた矯正でわたしとしては大感謝です。まあこの世の中は右利き用ですから右利きで生きたほうが楽です。左利き用の世界ではないですからね。左利き用にしてしまえば右利きは生きにくい、そういうもので、大抵は大多数に合わせるものです。
そこをでかい声のマイノリティが生きやすい社会を! なんて騒いでますけれど、少数派にとっての生きやすい世界は大多数の人の生きにくい世界であるわけです。左利き用のハサミなど開発されてはいますがラーメン店で隣通し座ったら不便です。配慮はしますが優遇はしません。こういう言い方は少数派を弾圧するように聞こえますが、声がでかいだけで権利を主張するだけで義務も果たしていなければ他人に配慮する気もない特定の人々にとても利益が有り当事者には迷惑しかかけていない権利団体は自分の発言そのものがブーメランになっていることを知るべきです。
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