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SHELLY DRUG is glorious.

「チミのデキのいいオツムなら一生賭けてもシェリィドラッグは理解出来ん」

初めに言うとコロナに罹患して死んだわけではないです。


いちおうまだ感情の整理がついてないしそもそもわたしは死に対して十五年以上扱いきれてないというか受け止められていないので新たにこういうことが起こったとしてもどうしようもない。日頃からしにたいしにたい言っているくせにと言われそうだけれど遺されるのは、いやだ。


うちの家系は親戚が少ない……というか、恐らく居ることには居るんだけれど長年のカルトとか諸々で解散してるというかほぼ絶縁。祖父母も生まれる前に一人以外全滅。そして余談だけどわたしも兄弟も血を繋がないのでうちの家系は途絶えます、はい。

そんな中ゆいいつ縁が続いているのが、たった一人の祖父母の姉妹。血の繋がりは残念ながらないんですが、とてもよくしてもらっていました。


この間までわたしは東京から離れていたので会いに行けなかったのですが、東京に戻ってきたのでそのうち会いたいね! と電話越しに話したのが三年前でした。それからたびたび電話は母へかかってきていたんですが、コロナがひどくなり、流石に大正生まれの彼女に会うのは危険だろうと、コロナが終わったら会おうねと約束して、お寿司とか食べようねと、数年経ち。

思えば、ここだったんですよ。ターニングポイントというか。

べつに彼女は人が良くて親切で丁寧で品があって好かれていたから周りに人が居ないわけじゃなかったんですが、たぶんみんな彼女に会うのを控えてたんですよ、彼女のために、自分のために。将来のために。


で、ボケちゃったんです。


考えてみればもうそれは当然の結果なんです。

コロナだなんだと理由をつけて会わない。彼女のためだ自分のためだと、話をしない、面と向かわない、食事をしない。そしたらもう老人なんて一直線なんです。今までゆるやかだったのが一気に崩れ落ちました。そしてボケたと分かった瞬間各地から彼女を慕う者たちが集まろうとしているんですが地域的にそれが不可能でして。いやもう目が怖い。集まろうものなら銃撃戦で蜂の巣、ゲリラかな。


聞いたときは「嗚呼」という感じ。

祖母も最後はボケたんです。死ぬ間際にボケて死んだんです。

そしてそれがわたしのトラウマです。


コロナで会わないのは健康のエゴなのかもしれません。

自粛だなんだでわたしは最後の友を失いました。

もう会えません、会っても彼女は覚えていません。

それはわたしがコロナで会わなかったからです。

会ったら防げたかもしれません。


わたしはあなたのことを忘れないけれど、あなたはもうわたしのことなんて覚えてやいないんだろうなあ。わたしなんかの手をぎゅうぎゅう握ってくれるのはあなたぐらいなものだったんだよ、それをされるたびにわたしはいつも目が真っ赤になるくらい熱くなって泣きそうになってたんだよ、知らないでしょう?

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