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SHELLY DRUG is glorious.

「チミのデキのいいオツムなら一生賭けてもシェリィドラッグは理解出来ん」

捨てよう。(すべて解決)

ネットでもよく見るんだけど、最後までフィールドに立ってたら勝ち、って論調、なんかあるじゃないすか。それはまあ最後まで議論を続けているのが偉くて、途中で離脱したやつは負けの定義ですよね。でも大半は途中で離脱する理由は議論に負けたからとか言い負かされたとか弾がなくなったからではなくて、「あほくさ」だと思うんすよね。議論を続けるやつもそれが目的で、自分の言い分が正しいとかそういうのは関係ないんですよ。

話せば分かるとか、話し合いでなんとかしようとか、会って話せば解決するとか、そういう人たちには「自分が折れる」という選択肢はないんです。自分の言い分は決して曲げることはなく(その正当性は置いておいて)相手を自分の場に引き摺り上げておいて常に相手が折れる、それも打ち負かされて折れて膝をついて、貴方様の言うことが正しいですと頭を垂れることを想定してる。

相手が見切りをつけて場を立つことを勝利と履き違えているので、彼は最後まで場に残った自分に成功体験を見出してしまう。あとは繰り返しだ。話が通じなければわたしは席を立ち、彼は勝利したと誤解する。成功体験は積み重なり、自分の発言に架空の正当性を抱くので、大声で恫喝し威嚇し暴言を吐き散らしながら相手に詰め寄り、「あほくさ」を待つ。無敵のループの完成である。

一度彼をぐうの音を出ぬほどまでに追い詰めたことがある。幼稚で稚拙な論理だけで後は大声でなんとかしているだけなので正論で詰めることは簡単なのだが、そうするとやはり最後は手が出る、暴力である。なんともまあ、野蛮だ。
なのであほくさで席を立つのは暴力を避けるためなのだけれど、彼はそれを理解できないんだろう。老いとボケはお手軽責任逃れセットだ。
一度でも手を出した人間の二度目はひどく軽いものだ。
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