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SHELLY DRUG is glorious.

「チミのデキのいいオツムなら一生賭けてもシェリィドラッグは理解出来ん」

他人を軽んじている人間を尊重しなくていいというのは結論のところ自他境界の話になってくると思っているんですよ。
わたしはずっと、自分がされたいことを他人にして、自分がされたら嫌なことを他人にしなかったわけなんですけれども、それって本質は物凄い間違っていて、相手の個を全く尊重していない独りよがりなわけです。自分にとっていいことor悪いことが相手にとても同様とは限りません、だって人間だし、相手はわたしではないもの。そこをずっと勘違いし続けた結果が境界の甘さであり、相手は自分ではなく個であるということを認めるところから始めなくてはいけない。

けれどこれは同時に、相手に(勝手に)抱いていた期待をなかったことにするということになる。自分が優しくすれば相手も優しくしてくれるとか、そういうこと。それが叶わないのは当然だけれど、人の善良性を宗教で死ぬほど叩き込まれてきたわたしにはそれを放り投げるのはあんまりに酷なのだよ。
まあ、うん、宗教が悪いんだよ、ぜんぶ。

他人の個を認めるということは自身を他人に反映させなくてもいいということなので、言い方はとても悪いが好き勝手に振る舞っていいということになる。これが最大限制限されているのが宗教のクソッタレな部分であり、二世とか以外には非常に伝わりにくい話だと思う。少なくとも一世は自身の不完全さを自覚しているけれど二世は生まれたときから善性の塊として育てられるからね、そりゃ勘違いするし自他境界なんてぐちゃぐちゃだよ。
曖昧な自他境界をハッキリさせるために相手の個を認め自分を否定する。これはもうね、ひとりでやっちゃあいけない領域だよ。
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