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SHELLY DRUG is glorious.

「チミのデキのいいオツムなら一生賭けてもシェリィドラッグは理解出来ん」

  • 2012/04/18 Wednesday

さいきんのおはなし

最近のわたしの精神状態がいささか奇妙な方向に偏り始めているので、まとめ。

春というのは精神に異常をきたすには十分すぎる季節だと前々から感じてはいるものの、就寝時に限っていえばわたしは減薬に成功した身分であるからして、少量の睡眠薬さえあれば眠れていたのが最近までのお話。
今ではというとどれだけ薬を飲んでも酒を飲んでも眠れないというより、眠りたくはない。

これがよくわからない。眠りたくないのだ。
なぜだろうか。眠りたくないという感情が眠るべき睡眠薬に易々と勝ち星をあげている。睡眠欲よりも感情が勝るというとても奇妙な現象だ。ある意味当然のような気もしないでもないけれども。

わたしには兼ねてから強迫概念染みたものがある。例えば布団で寝ている時に両手足を布団から決して出して寝たりはしないのだ。おかげで寝相のよろしい子に育ったわけだが、その布団から手足を出さない理由が「ワニに食べられるから」という奇想奇天烈な理屈である。しかし寝相がいいのは良いだろう。たぶん寝言は言っている気がする。しかしこんな荒唐無稽なワニに食いちぎられる手足を二十数年信じ込んでいる精神というのはいかがなものだろうか。

他にも強迫概念は強く、まあ最近で言えば過剰なまでの潔癖症というところに落ち着く。これはもうガスの指さし確認とは比較にならないほど周りに迷惑をかけまくるので治した方がいいんだろうとは思っているものの、いかんせん他の家族はずぼらな人達なので、家のクリーニングはわたしが担当するしかなく、その結果潔癖症は見るも無残な形で進化していった。
ああちなみに横断歩道を渡るときは必ず白い部分を歩く。

でまあ最初に戻るけれど最近感じる「ねむりたくない」という強迫概念はわたしの精神どころか肉体に多大な影響を及ぼしている。ぶっちゃけ寝てない。睡眠薬を飲んでいるのに寝ていないというのは翌日に非常にペナルティが課せられるので出来れば避けたいのだが、じゃあ寝ればいいじゃないという常識が通用しないから強迫障害なのだ。
しかしなぜ眠りたくないのか?眠るのは欲求ではないのか?
その答えは「明日が来るから」である。ああ、理解不能。

そんなの待っていたって、今現在だって明日にはなっているのだ、時間的に(0:40)しかしわたしの体内では自分が眠ることにより自分が起きなければならない=明日が訪れてしまうということに酷い不快感を感じているらしい。らしいとかそういった曖昧な表現は、強迫概念に支配されている時には正確な意味なんてどこにも存在しないというわたしの経験談からきている。
強迫障害をどうやって治すのかはわたしにも分からない。

徹夜ぎりぎりまで起きているのだがその起きている間に何をしているのかと言えば、ゲーム……ではなく体育座りである。こわいわ。ゲームくらいすればいいのにと毎日のように思うのだけれど、わたしはひたすら体育座りをして何かを思い出すわけでもなく(初日はそれこそ山のように思い出してはいたけれど)時間をつぶすのだった。なんという不健康。
しかしこの生活が一週間以上続いている。そろそろ体の方も限界である。
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