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SHELLY DRUG is glorious.

「チミのデキのいいオツムなら一生賭けてもシェリィドラッグは理解出来ん」

  • 2016/01/13 Wednesday

ススム離人感

わたしはボダという病名をつけられているが最近解離の傾向が強いと言われている。
医者もそういう方向で治療を進めるらしい。
でも「そういう」方向になってからというものわたしの調子はすこぶる悪い。

どうなのかと言うと離人感が強くなっている。
自分のことなのに他人事のように感じる。ふわふわしているのだ。
自分に迫る危機が他人事で、おそらく今わたしは事故にあっても平気なんじゃないかな(痛みとかそういう意味ではなくて)(現実感からあまりにもかけ離れているせいで、何が起こったところで自分の身に起きていることだとは到底思えないとかそういう意味で)

わたしは長いこと幻覚や幻聴に悩まされていたので、境界性の診断は曖昧だ。よく100点or0点とか、まあそういった類の人格的アレに関しては当てはまるとは思ってはいる。ただそれは生き方とか性格なので、性格によって生きづらいということは多々ある。でもたかが性格なので、思いようによっては変わったり、治ったりする。(病気だということをあえて言うのならば治るという表現が正しいように思える)おそらく8割の人が30代までに治ると境界性がよくいわれるのは、感受性が落ち着いたり、人生観を改めたり見なおしたり、そういうことが出来るのが女性の30代になると落ち着くよとか、そういうものなんだろう。病気ではなく、トゲトゲの精神を個として見つめ直せる余裕ができましたとか、そんな感じ。

とりあえず今現在のわたしはなぜいまここに居るのかがよくわからないし、
このブログは健忘を抑えるために書いているのだけれど、
どうやって20代生きていたのかほとんど覚えていない。
あいまいで、ふわふわしてて、現実感がない。なにをしていたのか分からない。
そのくせやらなければいけないことは分かる。
危機感はある。焦燥感もある。どうしようと喘ぐように悩む。
でもその危機感は稀に他人事になる。
その繰り返しがきつくてしんどくて仕方ない。

「解離性障害と関連する病気:境界性人格障害」(http://kairid.com/kanren3/
こういうの見るとどちらも当てはまる。
親は絶対的な存在だけど現実の居場所はなくて、他人への干渉が極端に虚ろになった。

いまは危機感がない。ほんとうはとてもとても焦らなくちゃいけないのだけれど、焦らなければいけないのは他人のような感じ。他人ではないことは分かっているのだけれど自分が別れているような感じ、まさしく離人感。
このブログを読みなおしていても誰か他の人が書いたものを見ているよう。まあ、ほんとうに、翌日見て、こんなこと書いたっけなあ?と思うことは非常に多いのだけれど。

あ、それと手帳申請しました。
障害者控除が使いたかっただけです。三ヶ月くらいかかるそうです。
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