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SHELLY DRUG is glorious.

「チミのデキのいいオツムなら一生賭けてもシェリィドラッグは理解出来ん」

顔がねえ、わからないのよ

以前に「場所がわからない」という話をしたのだけれど、そのときに解離症状を疑われたのだけれど。
今日はそれとは似て非なる話。そしてこれは医師には言ってない話。

幼い頃から人の顔が良く分からない。理由は視力が悪いからだと思っている。
わたしの視力はものすごく悪い。たぶん0.1はほぼない。昔は良かったのかも知れないけれど小学生の頃には既に悪くなっていた。近視とか乱視とかも入っているので物を良く見たことはない。でも眼鏡はしない。眼鏡は作ったが、鼻が低いので不格好という理由でしなかった。そのまま歳をとったので「よくみえるほうが気分悪い」という理由でまたもや眼鏡をしなかった。

人は長いこと目が悪い期間が続くとどうなるかというのは、補完するようになる。勝手に頭のなかで補完をするようになる。例えば赤と黄色のロゴで真ん中に大きなアルファベットらしきもようがあればマックかな?、とかそういう程度。まったく見えてはいないが、おそらくこういうマークだろうかここはこう見えるのが正しいのだろうと云う補完を頭のなかで勝手にする。
webでよく視力の悪い人のモザイク画像があるけれど、だいたいあんな感じ。

そしてそれは他人の顔にも顕著に言える。
他人の顔をわたしは認識したことがない。というより対面に立っていてもわたしは人の顔が見えないので覚えなかった。親の顔もわたしは覚えてはいない。似顔絵を描けと言われてもむりだ。「写真の似顔絵」なら描ける。写真で見た親の顔ならわたしは描ける。でも本人を目の前にすれば補完がされる。
なのでパーツを見たことはない。十年来の長い知人の顔もわたしはさっぱり見たことがない。
たぶんこんな感じの人なんだろうと、雰囲気を覚えた。詳細はわからなくとも、雰囲気でなら覚えられるので、わたしは人の顔を雰囲気で覚えるふりがついた。そして本人を前にパーツを補完する。眼や耳や口は、こんな感じだろうと。

人の些細な変化にも極めて気付きやすい。
否、見えないのだから気付かないんじゃ? と思うだろうが、そういったものは雰囲気によく現れるので、雰囲気から人の顔を読み取っているわたしには表情の変化や声色の変化、嘘や動揺などに気付きやすかった。なので悪意にもよく気付く。
「わたしは人の悪意を気付きやすいんですよ」と医師に言ったら、
「それは幻覚です」と言われた。
幻覚らしい。

最近人の顔を見ると気持ち悪い。
いや醜悪な顔を見ているわけではない。そんな失礼なことじゃない。
パーツを認識できないのだ。口とか、鼻とか。
目や口や鼻が、人間のそれとは思えず、また何を持って人間のそれなのかを認識できず、物体が、否、目が、それは目なのかと、それは口なのかと、しゃべるのかと、わからなくて、そして自分の視力が悪いせいで見えることすら出来ないので、確認すらできなくて、判断ができなくなる。

(これだけだと完全に認知症に聞こえる)

よって大変気持ち悪いので、最近では意識的に目を逸らすようにしている。
これが無意識のしぐさに為ったら、これまでわたしの唯一の美徳であった、人の目を見てしゃべる(ただし視力が悪いので見えているわけではない)という行為が消えるので、人と目を合わさないという最低の行為になるわけだ。

今見ていて気持ち悪くないのは鏡に写る自分の顔だけ。
親も気持ち悪い。(毒親であるという事は抜きにして)
医師の顔も気持ち悪い。
肉塊にしか見えんのだ。認識、判別ができんのだ。あれはほんとに顔なのか?
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