「チミのデキのいいオツムなら一生賭けてもシェリィドラッグは理解出来ん」
そもそもわたしは幻覚に対して割りかし肯定的な見方をしている。
ここで用いる幻覚という症状はうつとか精神的なことからくるせん妄みたいなやつ。
脳がエラーを起こしているとして、そのひとはエラーを起こさざるを得ない環境下に置かれていたわけなのだから、対処すべきなのはエラーではなく環境下。
それでそのひとがもし、エラーを起こすことにより、何らかの保身を知らず知らずのうちに行っていた場合の話。
メンタルというものはとてもとても不可思議なものだ。
目に見えない分どのくらい傷んでいるかなど想像もつかない。限界もわからない。ある日ぷつっと許容量を超えてしまっても誰も気付かない。自分ですら気付かない。気付かないうちに対処する。分裂したり自傷したり壊れたり閉じ込めたり忘れたり。処世術なのか死生観なのか定かではないけれど。
エラーを起こして目をそらさせるのも、ひとつの処世術。
それを治すのは果たして治療なのか?
むりくり現実を見せたところで一体なんになるんだ?
結局のところわたしは正気では生きられない。そんなこったとっくにわかってる。
しにたいと言うと、死んだつもりになればなんだって出来る、という人がいる。生きるのがつらいからしにたいと言っているのに、もう一度生きるという舞台にあげるなんていうアドバイスはまったくもって的外れだ。
端から観点が違うんだ、ナンセンスなんだよ。
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