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SHELLY DRUG is glorious.

「チミのデキのいいオツムなら一生賭けてもシェリィドラッグは理解出来ん」

  • 2016/10/28 Friday

虐待まじりの愚痴

わたしは一番ひどいときを生きてきたんだよ。虐待されてぶたれて殺されかけて、死ねばいいのにとか言われ続けて、何度も死のうと思ったけど死ねなくて、精神は分裂するわOD連発するわの大波乱の中、それでもなんとか必死に生き伸びたのに今死ぬのなら、それならあの激動の最中で死にたかった。

感覚が流動して神経がハリネズミみたいに誰かれ構わず攻撃してる時に死にたかった。

今じゃ薬漬けで不感性になってまったく人間らしくなくなった死に損ないだ。

出来るならあの時に死んでおきたかったと、願う。

 

子供を持てば考えが変わるよ、とか。

どんなに大切にされてなかったかが分かるから、わたしは子供を産みたくない。

 

子供は誰かに守ってほしかった。親が子供を守ってくれないのならば、一体何が子供を守ってくれるというのか。親からの肉体的暴力や精神的暴力に、子供が抗う術があるんだろうか。自治体も役所も警察も見て見ぬふりをしたり正論を言ったりするけれど、ただ一瞬でも一時的でも庇ってくれる場所が欲しかっただけなのに、「もっとよく話し合いなさい」とかそれらしい正論を言って地獄へ戻すよね。結局死んで事件にならなければ何事もないんだ。死ななきゃ誰も見てくれないんだ。生き残れば意味は無いんだ。死ななきゃ誰もわからないんだ。

 

従順になることを選んだ。親に歯向かわないことを選んだ。奴隷になることを選んだ。……えらんだ? 選ぶしかなかったら選んだことになるの? わたしはそれを得てして選んだとでも言うの。あらゆる道が予め塗りつぶされているのにも関わらず選択したとでも言うの。物心つかないときに、そういう判断が出来たとでも言うの。子供の自衛手段なんて限られているから、感情をぶち殺して人格を増やすくらいしかなかったのに、これでもわたしの体は生きていたので虐待死にはならなかったけど、感情は死んだから、虐待死と同格だと思うのですよ。

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