「チミのデキのいいオツムなら一生賭けてもシェリィドラッグは理解出来ん」
わたしはわたしのことを奇跡だと思っている。
生きている事自体が奇跡的だと思っている。
本来わたしのような人間は死んでしまったほうがいいのだ。生きていてもすぐに死んでしまうのだ。そういう意味で生きているのが奇跡。中身は狂っているけれど、精神は病んでいるけれど、一見常人に見えるところが奇跡的。
耐えているのも踏ん張っているのも死に損なっているのも、恐らくわたし以外の誰にも出来ないことを、誰かがわたしの体に入ったら一瞬で死んでしまうような事態にさえ対処してしまう、しきれてしまうそのメンタルが、奇跡だと思っている。
(まあ思うのは勝手だからね)
何度もぶち殺された精神は出張ることはなく、咄嗟の場面では合理的に判断する。
後々感情面で困るようなことにはなるけれど、一瞬が試されるような場面では常に自分を犠牲することを躊躇いなく選ぶ。
メーターが振り切ってしまえば360度回って元通りに見える。本質は全く違うけれど、そこまで見抜ける人は中々居ないので大抵は騙すことが出来る。
精神科医は嘘を見抜けない。そのくせ患者の言うことは嘘だと疑う。
ほんとうのことを言っても嘘だと判断する。思いたいのは分かるけれど。ダブルカルトに育てられた子はそうそう居ないからね。そういう子の言葉の重みなんかまるで理解出来ないんだろうな、育ってきた世界も環境も道理もなんにもかんにも異なるからね。そして、あなたがこちらを理解する日はこない。こちらはあなたを理解出来るのに。
自己犠牲とは聞こえが良いけれど、効率的に物事を進めるためなら自分がどんなに傷付いてもズタボロになってもまったく問題視しないということだから、べつに誰かのためにというわけではなく、自分のために自分を犠牲にすることが日常茶飯事だというだけで、まったくもって素晴らしい案ではない。ちゃんとそのツケは来るわけで、耐えられるとは限らないわけで。
発狂してしまう方が楽だと知りながらも発狂することは出来ない。なぜなら既に狂っているからだ。合理的な判別と判断のできる狂人なのだ。救われないね。
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