「チミのデキのいいオツムなら一生賭けてもシェリィドラッグは理解出来ん」
感情は行き場をなくせば内部へ溜まってゆく。
積もりに積もった感情はいつかぶわあっと爆発するように暴走する。
突き動かされるように泣いたり喚いたり怒鳴ったり叫んだり、体の中にこれほどまでの熱量が存在したのかと思うくらい強く激しくこだまする。一旦あふれだせば堰を切ったように次から次へとあふれでてゆく。衝突する熱量が涙や嗚咽、叫びになって、頭の中をぐるぐるとかき回して、高速で考えて考えられなくてごちゃごちゃしたものを全部まとめて呻いて喚く。
こういうのは定期的に必要なんだろうなって、今となっては思うのです。
わたしは常に二種類の反する考えが常に存在していて、その均等を保つのがうまくなりすぎて、意欲というものがごそっと失われてしまったのかもしれません。破滅願望と自制心が同居してるんです。本来は片方が強くなりすぎて荒ぶるのを、とてもうまく調整して無に持っていっているのです。それは創作活動には非常によろしくない。あれは熱量をぶつけるものだ。ありあまる、あふれた熱量をぶつけるにはうってつけのもので、寝る前に大粒の涙を流すよりはよっぽど生産性に溢れている。
今でも寝る前にわあと声もなく泣くことはあります。ぼたぼた涙が落ちて、叫び出したくなって。でもすぐに自制がかかります。それでなにかが解消されることも解決されることもなく無になります。
三大性欲もなく、感情の熱量もなくなり、これはもう最早屍だといつも思うのです。
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