「チミのデキのいいオツムなら一生賭けてもシェリィドラッグは理解出来ん」
世の中の出来事の九割には効くけれど、残りの一割には毒になる話。
時間教みたいなものがあると思うんです。なんでもかんでも、時間が解決してくれるだの、時間が経てば大丈夫だの、時間が経てば癒えるだの、なんやかんや。そして大概の事は時間が解決してくれるのであながち間違ってはいないのですが、時折この言葉は「最中」の対象から目を逸らす目的で使われていたりします。
例えば川で溺れている人に対して、
「大丈夫! 時間が経てば水はなくなるから!」とか、
誰かに殴られている人に対して、
「大丈夫! いつか殴るの止めてくれるから!」と言うような。
うーん。なんかちょっと例えが曖昧ですが、当人にはどうしようもない抗えない事象に第三者が介入することなく時間が勝手に解決できると信じているんですね。
時間が解決できない問題というのは得てして第三者の介入が必要不可欠です。
(というより、時間というものも第三者に当てはまる場合が殆どなのでしょう)
(大抵はね、大抵は)
でもね、放っておかれると酷いことになるから第三者を求めているわけで、それでいて時間がと言われ介入を無視し放置した場合、事態は悪化し、初手では簡単に治ったであろう病気さえも時間が経てば経つほど蝕み奥に根を張ります。虐待児童は放っておかれれば死ぬでしょう。目をつぶっていれば死ぬでしょう。時間が解決しないことさえも時間に頼って時間がなんとかしてくれると思い込む。大多数の人はそうやってなんとかなった経緯しかありませんからね。人は経験則でしか動けない生き物なんじゃないかな。
傾聴と投薬治療も、時間経過に縋ってるからね。
意識を混濁させ朦朧としていれば時間がなんとかしてくれる。それで治るのは偽うつですよ。
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