「チミのデキのいいオツムなら一生賭けてもシェリィドラッグは理解出来ん」
収集がつかなくなったけれども、まとめられる範囲では書いておこうかと思います。
わたしは被害妄想の類があって、思考盗聴もその一種です。そもそもカルト虐待がありますので、思考を見られてるぞみたいな洗脳はあったんですね。まあこの段階でもうアレなんですが、学生時代に不特定多数から虐められていたという体験談も含めまして、見も知らぬ人からの悪意というのは実際にあったわけで、それが拗れて被害妄想になったわけですが、わたし本人としては妄想ではないのですが、常識ではありえないけれども思わずにはいられないという強迫のようなものです。
悪魔の証明というのがありまして、「ない」ことを証明するのは「ある」ことを証明するより難しいというものです。
常識では思考盗聴等々はないと分かっていながらも、誰もそれをしてない出来ないということは証明できないのです。今わたしが他人の思考を読み取れないとしてもどこかの誰かには漏れているかもしれないと思うわけですよ。何百何千って人があなたの思考を読み取れないって言ったとしても、それはないことの証明には至らないわけです。信用しないわけです。
これが幽霊とどう関係があるのかと言うと、幽霊の存在に悪魔の証明は必要ない(とわたしは思っている)ことですかね。
だってわたしは見たことないですから。
相反する二つの回路から察する通り、精神のルールは他人には理解不能なところが多いです。
潔癖症によくある、手が汚いのは許せないがゴミ屋敷は大丈夫、みたいな。
他人に理解しがたい線引があるんです。
そもそも「ない」という物理的ではないことの証明というのは確信の伴う思い込みによっていると思うので、ないって思えればなくなるし、逆にそこが揺らいでしまえばなんだってあるに変換されてしまうんじゃないかなって。
それにしてもやめたいのにやめられない強迫ってつらいですね。
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