「チミのデキのいいオツムなら一生賭けてもシェリィドラッグは理解出来ん」
ゲームブログ(ぱんだこ)にも書いたお話なのだけれど少し毛色が違うんだけれど。
あっちではソシャゲに対して書いてるんですけれどね。
黙って与えられるものを受け入れてくれるってこれ創作物に特に言えることだと思うんですよ。わたしが敬愛してやまない漫画の一文を拝借いたしますと
「頑張って読んでくれるなんて思わないことね。」
ということです。受け手はデバッガーでもファンでもないわけですよ。
だからどうにかして作り手は受け手に届くように作らなくちゃいけない。独り善がりでは誰もついてきてはくれないわけです。ああ心臓が痛む、物書きにはきっついきっつい言葉ですよね。何作るにしても、誰も見なければ存在していないのと同様ですからね。
与えられるものを口開けて待ってるだけの読み手などはいないのです。
読み手には拒否権だってあるし批判したり評価したりも出来る。作り手は作ったからはいおわりなんてなまやさしいものじゃないのだ。
受け入れられるものを作りたいと願いながらも、受け入れやすいように作品を曲げることすらできないというもどかしさと、そもそも更新ぜんぜんしてないやないかという自分の戒めのための記事でした。
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