「チミのデキのいいオツムなら一生賭けてもシェリィドラッグは理解出来ん」
両親がダブルカルトだったこと。エリートな洗脳教育を受けていたこと。
27歳まで軟禁されていたこと。
そんなの誰も信じない。
見たいものだけを見て聞きたいものだけを聞く。ほとんどの人はそういうふうなものだから、自分とまったく違う世界の人間の生き方なんてほとほと興味がないし、興味を示したとしても理解が出来ない。理解が追いつかない。図らずとも道理や基準、基礎や基盤の異なるものたちには否定から入り、そして認めない。信じない。常識的に考えてありえない。だから嘘だと思う。それは、単に人生経験がそこまでだったというだけの話であり、理解できないものは存在しないとする思慮の浅さに脱帽する。
現実には存在する。
精神が分裂するくらい打ちのめされるものも。
余った残り物のわたしで構成されているものも。
思考停止はさぞ楽だろう。
考えを人に委ね、自分は一切の考えを否定し拒否する。与えられたものだけを口に運び、与えられなかったものに対しては酸っぱいぶどうと決めつける。思考は人のものだから責任なんてないし、時代とともに移り変わるなんて一言を付け足せば言いたい放題だ。自己責任で片を付けたがるがその自己には己は入っていない。安全圏の人間が地雷原を弱々しく歩いている人間を遠くから狙撃するようだ。
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