「チミのデキのいいオツムなら一生賭けてもシェリィドラッグは理解出来ん」
この記事書くの体力要るなあ……。
とある有名人の方が先日自殺してしまって、極力目に入れないようにしていたんですよ。自殺って吸引力があるから。ウェルテル効果でしたっけね。でもメディアがこぞって取り上げるしテレビ消しまくってたら母からピンポイントで振られて、いやあもう母はわたしを殺したいんだなあってつくづく思いましたね。
安楽死をしたい女性を嘱託殺人する事件が起きました。当初は女性の安楽死を叶えた医師二人組みたいな報道で、今もまあそんな感じの報道なんですが、嘱託殺人を犯した方の医師に優生思想があったことがバレています。優生思想と安楽死はいけません。
優生思想は「優秀な遺伝子残したい派」「劣等遺伝子は始末したい派」「優秀遺伝子残して劣等種は始末したい派」に分かれてそうな気もします。まあ個人の考えですが。優秀な遺伝子、社会的にすげー人を守ろうとか忖度しようとかそういうのは別に割と誰でもありそうっていうか、ものすごいスポーツ選手とかは次の世代に伝えてほしいとか思うじゃないですか。
安楽死は人の尊厳を守るものです。尊厳死とか使われてるね。
これはあくまで死にゆく人の尊厳を守るものです。
優生思想は社会的に不要な人間を始末、要は間引きします。人の人権も尊厳も知ったこっちゃないんです。だから嘱託殺人で安楽死を願った人に優生思想の人が処分を行えばそれは死者の願いを叶えてはいません。ただの殺人です。
たまに安楽死の問題を優生思想と混ぜて話す人がいて、それはだめだろうと思っていました。安楽死が認められたら社会的処分が捗るみたいな。全然違いますよ。安楽死が望むのはゆるやかな死と、人として死ねることで、優生思想が望むのは社会的不要な人間の抹殺。まったくもって別物。
日本はこの話題をずっとずっと放置して触れないようにしてきました。
国民の頭ふにゃふにゃにし続けてきました。
そろそろ、真面目に向き合う時です。
最近ずっとずっと気分が優れなくて。
嫌なことばかり思い出します。
(きっかけは引っ越し+コロナで、コロナの比重が重め)(しかたない)
毎日三十錠のお薬飲んで酒とOD繰り返していた薬中時代も確かにつらかったんですが、それより何よりどうやって中学時代を過ごしてたんだろうといつも思うわけです。いや薬中時代はね、確かに辛かった。正常な意識が戻るのが怖くてずっと薬飲んでた。意識が混濁していないと、現実に向き合わなくちゃいけなくて、シラフで向き合うことができなくて、朦朧とした日々を送っていた。怖いのは、その頃に書いていた小説が未だにわたしの中で傑作なこと。薬中時代を超えられる作品を生み出せないこと。
中学時代はもうね、例えばわたしが強くてニューゲームみたいな転生が出来るとして、生まれ変わってもう一度って言っても、ぶっちゃけ生きられないと思うんです。あの頃はカルトの地獄と家庭の地獄と学校の地獄の中で精神乖離しながら生きてました。
死ぬと盲信して死ぬ気で生きてました。死ぬために生きました。
でも今は知っています。死なないんです。だから生きられないんです。
死ぬ気で死ぬために生きていたので死ななかったんです。
死なないなら死ぬ気で生きないので死ぬんです。
中学時代はそういう生き方をしていたので、死なないことを知っているわたしでは転生しても生き残れないんです。だからほんとうに、あの頃は、パーセンテージの裏側を針で突くような微細な綱渡りをしていたんです、今では再現不可能です。
昔のことが今になっては乗り越えられる平気なこと、みたいな現象は多々あるんですが中学生時代はむりです。ほんと、よく生きてたなって。死ぬためだけに生きていて、そんで死ななかったんですもの。絶望感半端ない。それで薬中にジョブチェンジしたわけですから、順当なんでしょうかね。
ただあの頃の、死ぬためだけに生きている感覚というのはまだほんの少しだけですが覚えているのですよ。わたしは必ず死ぬと盲信していましたから、信仰心に裏打ちされた行動というのは通常の覚悟とは訳が違います。べつに戦争が起きたわけでもないし飢餓に苦しんでいたわけでもありません。ここは安全な日本ですからね。でもわたしは当時真っ直ぐなお目々で言ってたんですよ。わたしは死ぬから、もうすぐ死ぬからって。これ厨二病とかじゃないのが恐ろしいんですよ。だって信仰の裏に潜むはカルトですよ。カルトが言ってたんです、わたしはもうすぐ死ぬのだと。だからわたしはそれを信じて死ぬために生きたんです。
きっと大多数の人間はこれを信じられないばかりか嘘として扱うし、単なる厨二病として扱うんだろうなと思うことがさらに辛いし、それはもうわかりあえないし説明する気も起きない。宗教はすべての感性を変えてしまうんです。それに愚かしく左右されるのは決定権を満たない無垢な子供です。
だからわたしはもうあの頃を生き抜くことは出来ないんです。
死なないことを知っているので、死ぬのです。
宗教は神様の二次創作だから、
解釈はひとそれぞれよね?
そんな感じでカルトの再勧誘を解釈違いで退けている今日この頃。
世が世なら解釈違いは戦争だからね、仕方がないよ。
まあでもこれって一理あるんですよ。有効です。
わたしはどんな宗教だろうがいいとこどりのスパゲッティーモンスターもありありな部類なんで、要するに好きなもんを好きなように信仰していいでしょ、悪いわけないわよね、あなたたちもそうやっているしね? みたいな脅しをかけられるんですよ。ただ違いは二次創作を商用利用してるか否かだからね。
レジ袋有料化になってから初めて外出しました。
ちなみにわたしはマイバッグ否定派。肯定できる要素がないから。
それに加えてコロナやなんやで衛生面においてエコバッグを使う意味がない。
スリッパを買う予定で中くらいのレジ袋を持っていきました。
買った結果
※買い控える
※買い回りしない
という究極の経済止めな行動を取りました。
わたし本人もなんで? と思うほどでした。これやべえぜ。
■買い控える
店に行くと「ついで買い」をすることが多いです。今日はスリッパを目的で買いに行きましたが、セールの文字とお安くなった商品がありまして、うわあ欲しいなあ買おうかなあ、と思ったんですが、
「え、それ今持ってるレジ袋に入ります? 追加で買わなきゃいけなくない?」
と脳内セーブ。それならと不要と判断し買うに至らず。レジ袋無料なら買ってたね。
■買い回りしない
スリッパを買いましたのでレジ袋にはスリッパが入ってました。
この状態で同じレジ袋に食品を入れられますか?
わたしはむりです。
というわけで「店に行くことなく」買い回ることを止めました。すると本来その食品店に行ったらついで買いしたかもしれない商品を見ることも買うこともなくなったわけです。
単純だけれど極めて重要なお話。
そもそもお客様を店の中で動かさないとお金は回りません。そういう風にお店というものは出来ています。そういう風に作っています。レジ袋有料化はそれを止めてしまう悪手というお話なんです。
衛生的にも経済的にもハテナだらけなレジ袋有料化ですが、いざ行ってみると購買意欲はゴリゴリ削られ財布の紐はガチガチになりました。ただこの問題点って浮き上がって見えにくいような気もします。結局コロナだから経済止まったって言いそうな気がします。でも違うんです。店に行かないんです。買ったかもしれなかったものを買う機会を失っているんです。膨大な機会損失ですよ、これは。
まあしかもね、じゃあレジ袋不要ですっていくつもの質問をかいくぐり店員にお伝えするのも飛沫感染で大変なこのご時世、更に手間が増えているわけで。そんで不要と伝えたら伝えたでサッカー台を新設しているわけでもなし。手動で空中で持参のレジ袋に詰めていると、ああこりゃ複数は買えないなと痛感。あと万引対策とか大丈夫なんかこれ、と。しばらく買い物はしたくないですね。ただでさえストレスな買い物がストレスフルで胃に穴が空きそうです。
(ぶっちゃけ他国はレジ袋無料化して消費税減税してるのに都合のいい時だけグローバルスタンダードとか言いますよね)(いやあ紐硬えですわ)
まあ、うつなんですけれどもね。
抗鬱剤に関してだけ言えばわたしが飲まない理由は非常にシンプルです。
例えば通常の状態をゼロとして、危険地域が-50とします。
抗うつ剤は-50を一時的に-20にしてくれますがその反動で切れた瞬間に-100まで落ちるんですよ。
飲まないと-70くらいで踏みとどまります。
どっちがいいかっていう話です。
正直抗うつ剤っていうのは「その場しのぎ」でしかないんで、その場しのいでもどうしようもない人もいれば、その場だけしのげればいい人もいて、その判断をお馬鹿で経験の浅い精神科医が見分けられるわけないのです。大体の患者はやつら、その場しのげればいいと思ってるから西洋のお薬注ぎ込むんですよ。
ただこちらはもう四半世紀うつなんで、その場しのぎじゃ駄目なんすよね。
定期的に仕込んできますよ。丁重にお断りしてますが。
最近うつ状態からうつへシフト。
割と長いこと数年単位で落っこちてなかったんですが、やっぱりコロナでメンタルぼっきり逝ってたみたいすね。うつは生存意欲丸投げするから困りますね。セルフネグレクトとか言うらしいですよ。いやセルフっていうか親からネグレクトされ続けてるんだけど、そういう現状無視して新しい言葉作るの大好きだよね、精神業界。
フラッシュバック、いやなことたくさん。
例の如くリーフレットがgifなのでリンク貼りませんが、どうしてこういう重要な情報をgifで公開するんでしょうね……。
コロナで失業した人は60日失業保険が延長されることになりました。
やったね。
でも制限多すぎて受けられないよ。
ファッキン。
制限というか、
※離職日によって離職理由の制限がある
※6/12以降に所定給付日があること
※就職困難者は日数がもともと長いため対象外
とのこと。
ついったーで見るのは二番目の6/12で区切られることについての異論が多い。まあ謎だよね。1月か2月に辞めて90日給付だと丁度延長されないし、6/11に受け終えたら延長ならず、6/13に受け終えたら延長とか謎だからね。しかもこの期間ろくに就職活動なんか出来やしませんし。
わたしは最後の就職困難者ですね。
わたしが今回納めたのは10ヶ月なので最短なんですが150日。
比較すると、
通常時
一般人 90日
困難者 150日
失業保険延長により
一般人 90日+60日(150日)
困難者 150日
となり、就職困難者は就職が難しく日数多めで設定されているという建前が消え同日になりました。ならわたしべつに困難者じゃなくて一般人で失業保険受けたんだけどなあ。ハロワに障害者では登録してないし。
余談だけどわたしはもうアセクシュアルのようなもんなんだけれど、LGBTの団体はアセクシュアルを排除するからそんなに好きではないよ。
あるゲイに関わる健忘録。
ようつべで応援してる人がいた。応援というかファンというか。どう見てもどう考えてもその人はゲイだったけれど、直接ゲイだとは言わなかった。ファンの人も薄々気付いていたけれどあえて触れていなかった。たまに触れるリスナーもいたけれど笑ってかわしていた。わたしを含めたファンはその人がゲイかどうかなんてどうでもよかった、大したことではなかった。もし本当にゲイでも、わたしはあなたという人間のファンなので、性的指向は二の次なのだ。
ある日その人はカミングアウトをした。
ゲイだという。
知ってた、と思った。
その頃ゲイ本人以外による他者のカミングアウト、アウティングで自殺してしまった人がいて、まるでカミングアウトが神聖視されているような状況だった。アメドラでよくゲイだと告白した息子を親が殺そうとするシーンを見るのでアメリカはそうなのかーなんて思っていたけれど、アメリカかぶれのLGBTはカミングアウトを神聖視し、カミングアウトをした人間を讃えている傾向を見る。
でされた側の反応なんだけど。
わたしはもうその人を応援することはできなくなっていた。
それは決してその人がゲイだからではない。
だってずっと前からゲイってのは知ってたの。受け入れてた、というよりゲイだからという理由でファンになったわけでもないし応援してたわけじゃない。でもその人はカミングアウトをした。なぜ?
精神病でもそうだけれどカミングアウトの本質って「わかってね」「配慮してね」「優遇してね」という超絶自己本位な思考に基づいている。「差別しないでね」ではなく「優遇してね」なので、わたしはLGBTの主張は受け入れられない。
その人はその後書籍を出したり歌を出したりカミングアウトの前より精力的に活動している。カミングアウトをしたことにより懐が潤ったんだろうなと邪推する。もうわたしはファンではないし、ファンになることもない。ゲイであることを受け入れてた人をカミングアウトで突き放す。この矛盾さよ。
結局カミングアウトをした勇気あるゲイとして称賛される道を選んだわけだ。ゲイであることを受け入れてくれる人より、称賛してくれる団体を選んだ。
ここは空気の国だから、直接言葉にしなくてもわかることはたくさんあるよ。そりゃ言語化することも必要なことはたくさんあるけれど、性的指向をわざわざオープンにして配慮や優遇を求めるのは少し違うんじゃないかなあと思う。ゲイであることが悪いんじゃない。ゲイであっても人間性を見ている。そしてわたしはカミングアウトをする人間性を疑った。そういう、話なのだ。