「チミのデキのいいオツムなら一生賭けてもシェリィドラッグは理解出来ん」
身内に身体障害者が発生したので少し調べた。
日に日に弱るので直接の連絡はしていない。引きずられるからね。
■今回のケース
職場を体調不良のため退職
コロナ離職にして失業保険の受給日数を伸ばす
その後病院で身体障害者となる
即時手帳発行
クエスチョン:失業保険は就職困難者になるのか?
アンサー:ならん。ゴネてなった例はある。
そもそも失業保険の手帳の有無は受給決定時に決まるらしく、この時点で手帳申請中だったり、要は在職期間に手帳取得の要件を満たしていたかが重要になる。(……満たしているんですがね?)そして一度受給が決定した場合は変更は不可能と考えていい。一般で受給開始したら一般で受給終了まで過ごすと。
やあ、でも制度的にはそうでも現実問題即時発行状態で離職してんだから在職中と考えてもいいだろうし、精神手帳だって在職時確認されてもクローズだったら何も問題はないし就職困難者として就活もしなくていいわけだから制度のズレが見えるんですがねえ。
精神と違って身体は一度発行されたら返還することないしね。
ゴネる気はないけれど現場と制度は相変わらず乖離してるね。
少子化も福祉も税収も全部解決できる名案があるよ!
それはね、賃上げ!!!
ということを一日考えていたんですが、やはりですね、あるんですよ。
いやね? 大前提として女は子供を産む生き物です。
毎月生理が来ますし排卵も来ます。一度産んでおいたら胎盤流れるので子宮系の病気にもなりにくいです。体の内面の作りもそうですし、外側もそうです。胸があってお尻があって、筋力は男性に劣ります。
(しかし最近男女の性欲は大して変わらんという面白いデータを見てなるほろなあと思ったけどそもそも女に性欲なけりゃ子供産めないしなと納得)(薬の副作用でまじで性欲消し飛んだけどね)
思うんですけど、これ言っちゃ今の時代叩かれそうですけど賃上げ必要なのは男です。男女平等はなんかちがう。あれはちがう。男性が稼げないから女性が働くんです。夫の稼ぎで足りないので妻がパート行くんです。ここが専業主婦でよくなったら女は働かなくていいんです。というか子供産んでほしいし働いてほしいとかやべえでしょ。なんで重労働掛け持ちなのよ。
ハッキリ言って女性の社会進出と貧困って比例してる気がするんよね。特に男女平等とか女性の地位向上とかそういう言葉を聞くたびに貧困化してる。だってさ、結婚できれば専業主婦できてた昭和から、なんで貧しくなってんのって話じゃない? なんで未婚率高くなってんのって話じゃない? ここらへんはふくざつに絡み合ってるけど、わたしは男女平等っていうのは手放し歓迎しないんだ。
確かにバリキャリとかキャリア手放したくない女性とかワーカーホリック、確かにありますよ。でもそれって何割です? 女性の非正規率ってどれくらいです?(あとそういった方々は既に男なんですよ、もう)
だって仕方ないじゃない。適材適所、性差があるよ。
それをむりくり男や女をねじ込んだら歪が出るよ。
男女平等の平等は同じスタートラインに立たせろではなくハンデを寄越せの意味だろうけど、それを推し進めて社会総貧困化してませんか?
実家でスペースあるからとなんとなく取っておいたものを捨てだした。
こんにちは、ただの生前整理です。
中学と高校の制服はなんとなく取ってあった。
ほら、高いじゃないですか、暴利じゃないですか、利権ですよね。
ものはいいんですが云万円したじゃないですか。いつか冠婚葬祭に使えるとか思ってたわけですよ。でもスーツ買っちゃったし(使ってないけれど)ブレザーは襟ないからそのうちもクソも使わねえこと確定したし、じゃあ思い出で取っておくかと悩むと禄な思い出ないんで中学の制服を捨てました。
かわいくもなく重たいスカートが嫌いでした。
チェックがないときは腰で巻いて短くして履いてました。
カーディガン禁止で学校禁止ベストがダサすぎなのでパーカー着てました。
不良ですよ、善良ではありませんでした。
いじめの対象でしたが家よりは地獄度がマシなので通ってました。
いいことなんてひとつもなかったし学校も建て替えてもう母校はないです。
それでもわたしが確かに中学時代を地獄の中過ごし、何度も自殺未遂を繰り返して薬を噛み砕きながらリスカしまくりながら決死の思いで死ぬために生きていた事実だけは変わらないのですから思い出の制服なんて必要ないのです。記憶と記録は体に宿って刻まれて消えやしないのだからね。
閲覧注意!
この記事にはイニシャルGが含まれます。ご注意ください。
一人暮らしのときは生ゴミに気を遣った。
高層階に住んでいたこともあってここ数年はGに出会わなかったしゴキジェットも買わなかった。
実家はとてもGが多い。遭遇率も高い。
具体的に言うと夜中台所に降りて電気をつけると三匹以上にエンカウントする。
戸建てだし生ゴミにも配慮しないし築何十年だしでやばばば。
背後に存在を感じることもあり、振り向いたら奴が居て飛んできてあばばばばばばなんてこともあった。奴らはいちおう飛べないらしいよ? あれリアルタイム進化らしいよ? 化け物かな。
一人暮らしは終わり実家に戻ってきて何年かぶりにGと対面した。
そこでわたしは不意に気付く。
今までGに遭うと最終的に殺すんだけれどその前に精神的にゾゾゾゾゾッ! とクるものがあった。振り向いた時、夜エンカウントした時、ぱっと見、怖気が立つというか、もういやぁって感じの精神的恐怖と拒否。ハァ→⇡! という溜息。そういうのが、もう、ない。
たぶんだけれどわたしの中でGに対する認識の変化があったんだと思う。
今までのやつは精神的にダメなやつ。
今は、めっちゃ大きくてめっちゃ素早くて進化して飛ぶコオロギ。
(それはそれで非常に怖いが)
その証拠に今までやつを仕留める時、やつの亡骸を拾うときに割り箸やティッシュやキッチンペーパーをかましてたのですが割と素手でイケる。いやビニールは使うけどね。でもなんていうか、潰せる。イケる。さわれる。今までは触れなかった、でも今は平気、触れる。
不明瞭な恐怖はもうない。
もう、こわくない。
(というか大体女性は新聞紙でパーンッ! 出来るようになるのでは?)
(男性陣が助けてくれないからね!)
ちなみに母は昔からGに対する恐怖が全くなくて凄い人なんだけど、逆にこの精神的にクる相手が蜘蛛らしいです。わたしは蜘蛛はワンパンでいきます。たぶん呪われてると思います、ごめん呪わないで蜘蛛さん、我が家に入ったら生きては出られないんよ。
Q.するべき?
A.せんでええ。ケースバイケース。
ついったーとかようつべ見てるとこういう言葉をよく見る。
特にLGBTとか、そういったニュースとかコメントとか。
きっもちわっりいなあと、毎回思う。
新しい価値観というのは時代毎に変わってゆくものなので、なんやかんやで生きている内に変わってゆくことはたくさんある。否応にでも。古い価値観は新しい価値観に上書きされることもあれば、ずっと残っている掟めいたものもあり、それを古いと蔑視するか大事にするかというのは当人の問題である。価値観だしね。そしてこういう思いこそ価値観の最たるものだとわたしは思う。
要するに気持ち悪い部分というのは強制アップデートな部分である。
少し前から多様性を受け入れよう、多様性の時代だみたいな気持ち悪い文言を見かけるようになった。わたしはべつに否定派ではないが肯定派でもない。こういうのは大体パラドックスを孕んでいて、多様性を受け入れる体勢の中で多様性を認めない人間も受け入れるかどうかという寛容のパラドックスだ。んで多様性と価値観アップデートは同時期ぐらいから持ち上げられてて、まあ裏にフェミ共がいるのは嫌でも分かるわけだ。
アップデートされた価値観が何を意味しているのかと問われれば……なんというか彼らはあまり考えてないと思う。考えてないと言うより、そもそもフェミの言う平等は平等ではなくて、自分が優位な立場になりたいだけだ。スタートラインを揃えるのではなくハンデを要求するのだ。どの権利団体でもいつもそう。つまり「価値観アップデートしてこ!」は言い換えると「私に有利な社会にしてこ!」なんだろうね、きもちわるいのもそういうせいかも。あれってただの承認欲求だからひたすら「私を認めて」「私を讃えて」と言ってるだけかもしれない。
ほんとうの意味での価値観の変化なら少なからず行われていると思うけどね。というより行われていない瞬間がまずないよね。一瞬一瞬過ぎ去っていってるよ、そのくらい絶え間ない。昨日のことは昨日終えて、今日もやがて過去になる。わたしはあとどれくらい想いを抱いていられるのだろうか、忘れられないでいるのだろうかと、無性に不安になるよ。いつまで嫌いにならないでいられるだろうかと、風化せずにいられるのかと。
(アップデートとダウングレードはセットなんだよね)
きみたちは生きてりゃいいことあるって言うけどさ
少なくともわたしの人生においてはいいことも報われることもないよ
抗うつ剤について知ってほしいこと。
殆どのうつ病患者が飲むメジャートランキライザーは1950年から進化していないこと。新薬はベネフィットより副作用が多すぎて役に立たないこと。抗うつ剤が世に出てから同じ病名の人がたくさん亡くなっていること。患者が死んでも責任を精神科医はとらないこと。
甘えだなんだとこねくり回し、何十年も同じ論争をしている間に、病人はまたたく間に増えた。多剤併用ですっかり腑抜けになり、製薬会社は金に溺れる。無能な医者は机と椅子だけで開業し、名ばかりカウンセラーは事の本質を見抜くことは出来ない。わたしたちはただ吸い取られる、金も希望も権利もすべて、親から吸いつくされ世間に搾り取られ、一体全体どこが、なにを、奪わないでいてくれるのかさえ知らない。
他人のせいにするなと殊勝なことを言う人は親に恵まれている現実を見ない。少なくともあなたの親はあなたに現実を教えただろう。あなたは決して運を否定することは出来ない。だから努力を肯定し、人の努力を否定する。あなたが自分を愛せるのは誰かがあなたを愛したからだ。人は、知らない感情を受け入れることが出来ない。そうでしょう、だってあなたはわたしを受け入れることは出来ないのだから。
最近またたくさんのものを捨て始めた。
断捨離という言い方は好きじゃないけれど、まあ、そんな感じ。
思い出は今まで物に宿っていた気がして捨ててしまえば自分の一部がなくなるような気がしていたけれど、捨てても自分の中に身に付いていることに気付いて大丈夫かなって。
でもそれは言い換えればこの身が滅べばなにもなくなるということ。
「いつか使うかもしれない」と思って残していたものも、そのいつかはどうせこないから捨てることにした。
後で気付いたけれど、この思考も中々危険極まりない。
どうしたものか、よくわからない。
薬漬けにして頭を働かなくするのも手だけれど、割とどうしようもない。
死にたいと言うけれどほんとうに死にたいわけではない。
消えてしまいたいのだ。
死ぬのは、こわい。
(ああ、でも、そんなのはただの、)
わたしの精神はわたしの置かれている現実に耐えることが出来ない。
だからわたしはわたしのために幻覚を見て精神を分裂させて狂わせている。
そうし続けなければいけないのは耐えられない現実が続いているからで。
わたしの脳は、わたしを生き長らえさせるために、狂い続ける。
(だからね結局精神病ってやつはさ)
(脳が生存処理を下した上の、最後の防衛本能ってやつなんだと、思うんだよね)