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SHELLY DRUG is glorious.

「チミのデキのいいオツムなら一生賭けてもシェリィドラッグは理解出来ん」

  • 2018/12/07 Friday

ダブスタ面接

「出来ます出来ますという人は信用ならない、採用しない」という発言を聞いて思う事。

 

ならば出来ませんと正直に言う人は採用されやすいのかと問われればノーです。

出来ないのに出来るとボカした方が採用されやすいので皆出来ますと言うのです。

面接なんて9割は騙し合いですが、実は騙し合いには前提条件があって面接ではそれを一切満たしていませんので、騙し合いというよりも嘘合戦と言ったほうが良いような気がします。見抜ける人が居ないんです、面接官側に。むのうです。言っちゃアレですが人事ってほんとうにばかですよね。離職率が高い原因のひとつだと思いますよ、ミスマッチングっていうのは。

 

出来ませんと言えば端から弾かれます。

出来ないのに出来ると言えば、とりあえず場には立てます。

そこから嘘の吐き合いが始まるわけです。

でも場に立たないことには変わりがないので兎にも角にも「出来ます」と言わないことには始まらないのです。これは面接のダブスタが生んだ悲しき風習であり、そして更にこのダブスタは続くのでした。

 

出来ますと言って場に立った後ですが。

ここで本来本当に出来るかどうかの精査を行わなければなりません。しかし人事はあほなのでこの精査を行うことが出来ません。出来る人を出来ないと精査することも多々ありますというか、わたし結構、出来ないって判定されること多いんですね。まあ理由はなんとなく分かるんですが、わたし本来の性分として200%くらい出来ることしか出来るって言わないので、もう出来るって言って場に立っている時点で超絶出来ることしか言ってないんですが、それでも出来ないと判別されることが多々あります。スキルチェックとか派遣であるんですが、タイピングに関してはいつもスゲー驚かれて、んでもって言われるわけですよ。

「この半分以下のタイピングでも出来るって言う方はいますよ」とか。

 

人事があほで精査が正常に機能していないと、出来る人間を落とし、出来ない人間を雇います。雇ってしまってから実は出来なかったとバレてミスマッチングだなんだと離職することも多いでしょう。でも本来は人事が面接時に弾く場面です。自分たちの精査不足です、自分たちの能力不足です。しかしそれを認めず、「出来る出来るというやつは信用しない」と面接の場に立った人を非難するわけです。本来非難されるのは見抜けなかった人事なのにね。

 

最近は離職率の高い職場というのは職場自身に問題があるんじゃないかとブラック問題で言われてきましたが、やはり組織の入口部分である人事も相当あほだというのは面接を通して痛感していますので見直すべきじゃないでしょうかね。昔は人事と言えば花形でしたが今の人事は窓際ですからね。

未だに手書きの履歴書がいいとかいうあほもいます。いや手書きで何が分かるのかな、分かるのならそれ生かして占い師とかにでもなればいいよ。パソコンの履歴書の方がよっぽどスキルあるかないかの精査出来るじゃん。パソコン使わない手書き主流の現場ならいいと思うけど未だにそんなんありますの?

 

結局面接で受かるかどうかの判断って1/10くらいの人に「なんか波長が合う」とか「一緒に働いてみたい」とか運命の出会いみたいなことが起こるかどうかみたいなところだと思うんですね、要するに運。いろいろ策を講じて確率を上げてみたりするけれど、結局は運。運命力。もしくは縁。

なので「出来ますという人は信用ならない」というのは「出来ますといった人間を精査する目がない」と自分で言っているようなもんなので、程度が知れますねという話。

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タイトルしか見てないんだけれど、NHKクローズアップ現代で宅配ドライバーが年収720万円を目安に、出来高次第で増額するという条件で個人事業主契約を結んで人手不足になんちゃらみたいな放送をしたそうだ。タイトルは月90万だったけどね、よくわからん。

 

そもそもわたしはNHKクローズアップ現代は信用していない。

 

考えても見ると月90万円の契約って個人事業主としての業務委託だとかなり少ない。

宅配業という職業上、労災や商品保証が重要になるけれど、業務委託の場合これ全部本人負担になる。労働者じゃないからね。それに労働者じゃないから30日24時間労働でも文句言えないし残業代も出ない。請負だからノルマもあるだろうし、なにかトラブルに遭った場合非常に弱い立場になるのが個人事業主としての働き。ついでに年金も少なくなるしカードローンも使えない。社会的保証がないのにも関わらず月90万ってうわあ……という感じ。

というより個人事業主ってまじ発注側しかメリット無い。

 

今給料が低すぎて悩んでると個人事業主としての契約は基本30万以上だからうわあって飛びついちゃったりするけれども、ほんとうに理解してほんとうに選ばないとほんとうに危ないと思う。わたしは後悔したからもう直接雇用以外は嫌だって言ったし、廃業届も出した。もうやらない。来年の確定申告まじ怖い。

 

個人事業主はリスクばかりなのにそのリスクを明かさずにおいしそうな金額だけ公表して、タイトル一本釣りみたいなことをしでかすのはよくない。放送しない自由もよくない。情報を選別するのは視聴者であって、配信者が放送しない自由を振りかざし行使するのはひきょうだ。調子の良いことばかり、耳障りのいい、ああ違った、耳に聞こえのいいことばかり言うのは変です。個人放送ならいいけどね、ゆーつーばーとかさ。NHKとかニュース番組がそういうことやっちゃだめっすよ。

数年ぶりに実家近辺へ戻りました。

理由は歯医者です。歯医者はやっぱり馴染みじゃないとダメです。

一箇所だけ虫歯になりそうな部分がありましたので、歯石取ってちょっと削って終わり。

歯石は上下いっぺんに取ってくれるし、非常にリーズナブル。ありがたい。

 

わたしは実家近辺になんの思い入れもないと思っていたのだけれど、数年ぶりに帰ってみたらなんとなくこみ上げるものがあって、それは実家近くに流れる川を見たときでした。正直ろくでもねえ思い出しかないんですが、町並みとか店とか人とかよりも、なんの飾り気もないただの川を見た時に、ああ、どうしてわたしは、ここを離れなくてはいけないんだろう、と切に思いました。

 

わたしは幼い頃から「なんで?」の子でした。

でも答えはありませんでした。両親がカルトに狂っているのに当時のわたしが納得できる理由もありませんですし、彼らがなぜわたしを虐待するのかもわかりませんでした。

それは理解してはいけないことでしたが、幼いわたしは良く咀嚼して飲み込み、精神を崩壊させるという消化方法に至ったわけです。

 

わたしが今母と生活しているのは、母と生活していれば父との生活からはまず間違いなく逃げ切れるからです。これが両方の親から逃げ切るとなると熾烈を極め、実際一度失敗していますので尚の事彼らは警戒し、わたしは臆病になります。それにもしわたしがふたたび逃げた時、彼らはわたしを探すという名目の上結託するでしょう。しかしながらわたしが片方につくことにより結託を防ぎ、そしてある程度分裂させ続けることが可能になります。そういった打算を含め母と暮らしています。母と暮らすのは精神的苦痛ですが、父と暮らすのは肉体的性的苦痛を伴います。どちらがいいというわけでもどちらがマシというわけでもなく、両方に捕まるくらいならば片方につき、敵の敵から確実に逃げることを選択したわけですが。

 

一体全体なんで、どうしてでしょうか。

わたしの人生はずっと歪です。

 

ねえ、わたしはね、談笑して晩御飯を囲むなんて知らない。

知り合いは皆わたしの父と母を称えるけれど、それは彼らのパフォーマンス。外面はいいから、信用されるのはいつも両親ばかりでわたしは嘘付き呼ばわり。わたしだけが真実を喋っているのに、わたしだけがいつも迫害される。住みたい場所から離れ、住みたくない場所で生きざるを得ない。ただ彼らの死を望む。彼らの死だけが、それだけがわたしの証明になるのだ。わたしが正しいと、わたしは間違ってなかったと、間違ってなかったものこそが生きたのだと、それだけが証明なのだ。

ただわたしが先に死んだとしてもわたしがそれを証明できなかったというだけであって、彼らが善だという証明にもならないからそこはもうどうでもいいやと常々思う。

でもほんとうに死んでほしい。実の娘が言うよ、君たちはもう死んでくれ。

わたしのために、死んでくれ。

 

なんでとどうしてが綯い交ぜになってわたしはよくわからない。

ほんとうに川はろくでもない思い出しかないんだ。小中学校ずっといじめられたから、そういう悲惨エピソードは山ほどあるし、犬の糞はたくさんあるし、草すべりして事故ったとか、薬で太った時に勢いだけで走り込み始めて結局巻爪になったとか、薬中で病院行く時に通いまくったとか、何度も泣いたこととか、何度もリスカしたこととか、それでもどうしようもなかったこととか、マイナスの要素ばかりでろくでもないんだけれど、それがなんにもかわってなくて、ずっと川で、ずっとずっとただ、変わらずにあって。

 

どうでもいい思い出しかない川だけが、わたしを涙させた。

  • 2018/12/03 Monday

だめです

ちょっとだめです

ごめんなさい

  • 2018/12/02 Sunday

常備薬とプラシーボ

たぶん意外と思われるかもしれないのだけれどわたしはほとんど常備薬は飲まない。

なら常備薬じゃないじゃんと思われそうだけど。例えば正露丸とかチョコラBBとか、あとはなんだろうね、マスチゲンとか、それと風邪薬かな。逆に母はそういうのすごい飲むね、だから常備してある。

個人的常備薬はロキソニンだけれど、これも相当飲んでない。

 

理由は簡単で効きにくくなるから。抗体ができてしまう気がするから。

確証はないです。気がする程度です。

でもロキソニンに関しては飲めば飲むほど効きづらくなって、逆に期間空けて飲むと効きやすいというのは自分の体が証明しているから、他の常備薬もそうなんじゃないかな。

人体実験、確定要素。

 

正露丸とか飲むくらいなら牛乳とかヨーグルトとか飲む食べる。

チョコラBBなら柑橘系食べる。

万が一のときは当然飲む。

 

ただ風邪薬ってびみょうよね。いや風邪ってジャンルがもうさ、ないじゃん、あれ嘘じゃん。風邪っていう病気はないんだからあたたかくしてポカリ飲んで寝てれば大抵治るじゃん。だから風邪薬は要らないよ。炎症止めとかならそれこそロキソニン飲めばいいけどあれ解熱作用あるから逆に飲まないほうがいいんだよね。熱は大事。というよりわたしほんとうに風邪引かない。他人から貰わない限りどんなに寒いところに数時間居ても凍てついてても風邪引かない。耐性が強いのかな、薬中なのに耐性強くて健康体とかまじ笑ける。なんじゃそりゃって感じ。

 

師走になりました。風邪っ引きが多くなる季節ですが風邪という病はありません。

  • 2018/12/01 Saturday

相対的感性

純然たる悪意の記事を書く前に相対的感性の話をする。

 

感性とか、まあ正義とかも同じ話なのだけれど、相対的と絶対的なものがあって、これは恐らく生きていく上でなんとなく使い分けているのだろうけれど、白日のもとに晒された時、相対的感性というものはとても弱い。逆に集団の中で生きていく上では相対的感性の方が強い。

何が絶対で何が相対なのかと言えば無論他人と比べて、なので、比べる対象のない事象では絶対的感性の方が強いというのは当たり前の話である。

ここがもし相対的であるならば自分が落ちていく際に受け入れられず脆く壊れやすいだろう。

 

ただ集団の中での相対的感性というものは常に周りと、特に下を見て生きているので、下ありきの世界なものだから、もし自分より下の居ないヒエラルキーに属してしまったときに悲惨だ。そのために人は無意識に自分よりカーストの低いものを作ろうとする。これは集団で生きる上で当然の行為である。ただそうなってしまえば何と比べて自分は正しいのかを正しく認識できてこない場合が多い。弱いものより強いから正しいということになってしまう。ただの畜生と変わらない。

  • 2018/11/30 Friday

薬中事変

ジェネリックってすごいんだよ!

(なにがー?)

効かないの、ぜんぜん効かない、だからすごいの!

(なにがー?)

 

たくさん飲めるね!!!!!!!!!!

 

というわけでジェネリックが違う意味で役に立つって話でした。

副作用がすごいんですが主作用はほぼほぼないのでただひたすらに飲みたいだけだったらいいんじゃないんですかね。ただ副作用で死にそうにはなるんだけれどね。そもそも薬なんて罪悪感で飲んでるようなもんだから、お手軽に罪悪感感じられて大して主作用もないんだったら飲み放題じゃないの、いや嫌味ようふふのふ。

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