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SHELLY DRUG is glorious.

「チミのデキのいいオツムなら一生賭けてもシェリィドラッグは理解出来ん」

  • 2018/11/22 Thursday

「放念ください」

ビジネスメールって糞だと思います。控えめに言ってクソです。

でもビジネスメールすら打てないと社会人として失格らしいです。

もうだから、その感性すらクソです。

 

よく「『お疲れ様です』と『いつもお世話になっています』を使い分けましょう」みたいなビジネス記事を見かけます。まあそこらへんでぐぐると鬼のように記事が見つかるんですけれど、需要はあるんですかね、数年でまた新しいビジネスマナーは出来そうですが。

いやそもそもこのお疲れ様とお世話になってますの使い分けっていうのは近年では合ってないんですよ。

社内はお疲れ様、社外はお世話に、みたいな使い分けなんですが、じゃあ派遣だとどうなのよって話。個人事業だとどうなのよって話。自分以外全員別会社の人間だったら全部お世話でよくね? と思うとそれはそれで違くて、結局は関係性と感性の問題だったりするのでじゃあどっちでもいいじゃあああん、と悶絶する。

 

いやメールってもんはそもそも相手に何を言いたいかが的確に伝わればいいんで、そのね、なんていうの、導入とかどうでもいいんですよ。そこを気にするやつはだめだ。もうあれじゃん、「よろぴく」でええやろ。

とは言うものの会社は気にするし相手も気にする人は気にするしすごくめんどうくさい。

 

先日わたしがよくビジネスメールで使っていたのは「放念ください」でした。これは気にしないでくださいとか忘れてくださいとかそういう意味らしいぞ、ぐぐったら。間違ってたらそのサイトが間違ってるんだよ、もうこういうのの正解は求めない。標題と表題みたいなもんやろ……。ビジネス語句とITの歩幅が合ってないのよ、そのくせビジネスマナーはビジネス本を売るために新しいものばかり生み出されるからなあ。

でわたしが打ちたかった文章は「いちおう添付ファイル送っておくけど、不要やったら特に気にせんでええで」という文章なんですがこれをビジネス化(ビジネス化って言っちゃったよ)するのが難しかったんですけど放念くださいで解決しました。誰か通常文章→ビジネス文章に翻訳してくれるシステムでも作ってくれればいいなあ、ほら英和翻訳サイトみたいにね!

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えっ、じゃあ精神障害じゃないじゃん……。

 

とついったーでつぶやこうとしたけれど間違いなく叩かれるのでブログでひっそりと書いておく。ついったーはあれですよね、発達障害の住処ですよ。そんな場所に燃料を投下したくない。例えわたしが戦闘力(フォロワー)弱者であろうともあまり関わり合いたくない。興味のある方はついったーで発達障害で検索ゥ。承認欲求が溢れに溢れかえった発達障害がワラワラ出てくるぞ!

 

日本のダブスタ、発達障害。

生まれつきの障害なのだから認めるべきとの声。

環境が合わせるべきとか認めるべきとか容認すべきとか配慮すべきとか暮らしやすい社会だとか人権団体が良く並べる実態のないワードにして身体が言うととてつもなく強いワード。

でも生まれつきならそれって精神じゃなくて知的じゃないの?

 

どんなところでもどんなやつでも、症状の軽いやつっていうのは声がでかくて敵わない。

生まれつきだから直せない! 認めろ! ってそれは百歩譲っても精神障害じゃないですよ。人格障害があるじゃないかって言われそうだけれど、人格障害は病気ではないからね。あれは性格。生きづらいっていう性格だから、発達障害とは全く違う。それに人格障害単体で受診している人はほとんど居ないと思う。発達障害は単体だから質が悪い。

昔々云十年前におフランスで買ったブランド財布を使用しないと聞いたので、買い取らせていただきました。「使ってくれるならタダでもいい」と言っていたのですが気持ち的に支払わないと整理がつかないのできちんと払いました。

 

そもそもですね、最近キチンとした財布を持とうと思っていたんですね。

なにか一つ身につけるものをきちんとしたものを買おうと。

それでネックレスとか装飾品はアウト、ベルトとか靴は男っぽい、時計は無理、カバンは消耗品だし実用性に欠けるってことで財布を豪華にしようと。んでもって探していたので実に丁度良かったです。

 

しかし中身はクレカとnanacoくらいで中身負けしてます。百均でブランド財布を出すと気持ち恥ずかしいです。なんかわたしめっちゃ恥ずかしくなります。レジしてる時お客の財布なんてどうでもいいですけどね。現金かカード払いかくらいしか確認してないけどね、自意識過剰だよ! そらそだよ、齢これまで持ったことないもんブランド財布なんて。わたしブランド持ってますよ感が自分自身で恥ずかしいんですよ、見合ってないですからね、知ってる。

まああと十年くらい使い込んだら慣れるんじゃないですかね……。

前の薬剤師と患者の別パターンの会話なのだけれど、

薬「最近困ってることはありますか?」

患「お金がありません」

薬「大変ですね」

というのもありました。会計は五千円くらいでした。

 

役所にはまほうのじゅもんがいくつか存在します。

そもそも役所というのは〇〇課に自分の足で行って、自分の口から「〇〇という制度を受けたいです」と言わなければまったくもって向こう側からのアプローチやヒントなどは存在しない仕組みになっています。ついでに言えば〇〇という制度を受ける→〇〇の制度が解禁される→〇〇が付随して受けられるみたいな複合クエストもありますがヒントはありません。

ソーシャルワーカーとかケースワーカーに相談すればいいじゃん? とか思うかもしれないんですが、情弱にはそれがわからないんですよ。わたしも「奨学金制度」という「存在そのもの」を知らなかったので取っ掛かりすらない情報弱者には不可能なんです。

 

お金がない人は自立支援を受ければ自己負担が一割になります。東京だと無料です。

でもそれは、窓口では教えてくれないし、まほうのじゅもんを自ら唱えない限り、受けられません。

その存在を知り、調べて、受けに行く。

お金がないことを自覚し、どうにかならないかと思案し、もしかしたらと調べてみる。

精神障害には難しいステップです。

 

そもそも改善策があるかもしれない、と考えられる時点で困窮はしてないんだよね。出口が自ずと詰まっていくのが社会的不安なので、改善策や解決策があるかもしれない抜け出せるかもしれないと考えられる人というのは迷宮入りしてないんだよね。まほうのじゅもんも簡単に見つけられる。本当に必要な人には見つからないまま。

  • 2018/11/12 Monday

薬剤師の罪

薬剤師「最近眠れてますかー?」

わたし「眠れません」

薬剤師「つらいですねー」

 

……なんかさあ、薬漬けにしてるのはわたし、勝手だけど、医者と薬剤師の両方がいないと成り立たないと思うんだよね。明らかに怪しい処方とかあっても薬剤師は疑いもなく処方するじゃん。何十錠も。つまりは薬漬けにするのに力を貸してるわけだよ、医者だけなら処方できないんだから。つまりは同罪。だからすごいいらつくよね。

 

今日このような会話を薬剤師と患者がしているのを聞きました。

薬「最近困ってることはありますか?」

患「体重が増えて困ります」

薬「食欲増加のせいですねー」

 

2018年わたしはこのセリフを聞くとは思わんかった。そして患者は納得しきれない顔で支払いを済ましていた。

わたしは何度も言おう。これは嘘だ、ダウトだ。おかしいんだよ!!!

 

「食欲増加で体重が増える」なら「食事制限で体重が減る」じゃないとおかしい。

なのに食事制限をしたところで体重は減らない。

そこで代謝を疑う。

なので食事制限に加えて運動をし始める。

しかし減らない。

つまり運動で補われないほどに代謝が落ちまくっているということになる。

 

代謝が落ちる原因は運動不足だが、薬の副作用として眠気だるさ等等尋常じゃないほどのものがあるのはご存知の通り。うつがひどくなればなるほど強力にこちらの移動能力を押さえつけてくる薬は、体力を奪ってくる。つまり運動できないのは薬の副作用ということになる。

 

「薬のせいで代謝が落ちる→代謝がおちて体重が増える」つまりは「薬の副作用で体重が増える」

これが正解。

 

デパスなどの筋弛緩剤や抗不安薬を飲んだ後満腹中枢がイカレることはある。その間いくらでも食べ物が入るので食べ過ぎに気付かないということも当然ある。しかしそれは第三者に確認してもらえば良い話なので、そこでもし食べすぎていない場合、食欲増進による体重増加というのは限りなくダウトに近しい。

というか代謝が落ちていれば通常の量でも多くなっていると思うので、あえて食欲増進を推す必要はないのだが、ここでふと思ったんですが、

 

食欲増進、なら患者の責任。

薬の副作用、なら医者と薬剤師の責任。

 

になるから当然食欲増進とかそっちの方を伝えるよなー、相変わらずこすいなー、と納得。

  • 2018/11/10 Saturday

人間関係断捨離体質

ずっと捨てられなかったものを捨てました。

わたしがそれを持っていても誰かが迎えに来てくれたりボーナスをくれるイベントは起こらないからです。まあそんな現実的な話でもなく洒落てもいなくて、単純に捨ててもいいやって思えたからです。

 

過去にまつわるものを捨ててしまうと過去の自分が消えていく気がする。自分というものが確固として現実味を帯びていれば良いのだけれど今のわたしはわたしを認識できていない。離人症だからね、認知症もあると思うけれど。それでいて過去のものを捨ててしまえば今の現実に繋ぎ止めておけない。空虚で乖離してしまう。根付かないというのは聞こえがよく、結びつかないとかふわふわしているとか、そんな感じ。だから離人症がひどくなればひどくなるほどわたしの断捨離は進むのだった。まあ断捨離とかミニマリストとかいう言葉が出来るずっとずっと前からわたしは離人症だからね。

 

雑記を消してしまえばこの時間のわたしは存在しないのかもしれない。

誰かに認識されなければ、観測されなければ世界は存在しないのだ。

その説、割と好き。

 

携帯の個人データをすべて消しました。

数年連絡を取っていない人とまた連絡を取るわけがないんです。

 

わたしはわたしをずいぶんと前に捨てている。乖離という形で。

  • 2018/11/09 Friday

近況ダラケ報告

11月から暫く休むというのは事前から決まっていた話なのですが、それがどうにもこうにも計画と異なってしまいました。

事の起こりは、わたしが東京に引っ越すと言い始めた頃です。

 

10月半ばにほぼほぼ物件が決まっていました。どでかい計算狂いがなければそのまま入居する予定で、内覧は後回しでした。内覧をしなくても大凡決まりだったんです。あと小さなことや中くらいのことには目をつむるつもりでした。

しかし内覧をして狂いました。起きたんです、計算違いなことが。ありえないようなすごい確率なことが起きてしまったんです。というわけでその物件には住めないことになりました。あんなのむりや。

 

11月引っ越し諸々手続きで12月引っ越しのはずが物件自体おしゃかになったので、また探し直しの日々です。単身なら割と楽なのですがまた毒母がついてくる軟禁生活なので条件がきびしいです、くそったれ。悪質なキングボンビーみたいなやつですよね、雰囲気的には。

またデパスをラムネみたいにODする日々ですよ。ばりばり。

正常な頭じゃ過ごしていけんのです。

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