「チミのデキのいいオツムなら一生賭けてもシェリィドラッグは理解出来ん」
この時期になると大忙しな自立支援更新ですが、前もって行動していただけに苛立ちが募ります。
わたしは年末に東京に引っ越してきたのでその際に自立支援の住所変更と手帳の更新を行いました。自立支援は年始に来てねということなので、じゃあ変更届で申請ができるのかと問うと出来ると回答。この辺りで雲行きは非常に怪しいものでした。
さて12月から2月になり、手帳届かないなおかしいな? と感じて障害福祉課へ。結果としてまだできていませんと。自立支援の変更もできていませんと。更には所得証明に必要な課税証明書はマイナンバーで照会できますが控えを返せませんと。
わたしは3月から健康保険になりますのでその旨をお伝えしたところ、郵送(自己負担)で受け付けてますよとのこと。
すなわち、
「変更はまだ証書ができていません」
「変更の変更は届くのに三ヶ月かかります」
「変更の変更の控えは一週間後に郵送です」
「変更の変更の変更は郵送で受け付けています」
という馬鹿かと阿呆かと。
最終的に自立支援の証書が手元に来ればなんの問題もないのですが、今まさに確定申告の還付金が二重に届いてるんですよ。それも踏まえて不安しかない。そもそもマイナンバーで所得確認した書類の控えを返せない理由って何でしょう? わたしは変更の変更の変更に至るすべての書類にマイナンバーを記載しているし、所得もマイナンバー叩けば出てくるようなもの。役所は仕事を増やすのが仕事ですが我々の手間を増やさないでいただきたいものです。
手帳に関してもひと悶着ありました。
あの人たちは自分で行ったことの責任も確認もなさらない方たちなので、まあ端的に申し上げると頭がよろしくないので、申し送りとかそういったものを何もせず、精神障害なんぞと常に下に見ているから、単純なこともお分かりにならず、下に見ている精神障害に馬鹿にされるのですよ。
いい加減障害福祉課と生活保護課を窓際無能族を配置するのは止めていただきたいですね。セーフティネットですよ、そこ。
一人暮らしを経てわかったこと、料理編。
お皿は放っておいても誰かが洗ってくれるわけではない。
どんなにめんどくさくても食べないとそのうち死ぬ。
食べるには作らないといけない。
そんなわけでわたしは最短で食える料理や日持ちのする作り方、冷凍保存の極意やまとめおき作り置き戦法を編み出した。元々料理はしなかったけれど出来なかったわけではないし、毎日そうめん食べてても飽きない性分ゆえ、日々努力ではなくストレス解消のために料理をしていたら勝手にうまくなっていったという類。
しかし料理をすること自体が好きなわけではないので、時間をかけたほろほろ肉よりもお手軽にバッと食べれるどんぶり系のほうが好みなんですね。洗い物もひとつで済みますし。わたしの家は基本小皿たくさんおいしいきれい派なので、わたしが母に習った料理とかは一切ないです。そもそも母はわたしに料理を一切伝授しません。だって搾取したいから出ていかれると困るからね。自立に関わる知識はまったく与えませんでした。それでもまあなんとかなるもんだ、ネットってすげえや。
洗い物を少なくするために料理の手順に洗い物を組み込んだり、極力少ない工程で作るように工夫をします。パスタとか結局鍋とフライパン使うんで邪道ですよね。とかなんとか。
まあつまり好きでもなんでもないことですが生きるためには必要な工程はなるべく少なくしようということです。洗い物が多いと肌荒れもしますからね。生ゴミもまったく出しません。Gこわいし。
実家に帰ってきて思うのは、父は一人暮らし経験がないんですよ。
母に甘え、嫁に甘え、現時点で娘に甘えてるんです。
こいつはだめです。
誰かがやってくれるだろうの精神で家を汚す。誰かが洗ってくれるだろうと洗い物そのまま、洗濯物も色分けせず、放っておけばご飯が出てきて、放っておけば洗濯されて風呂が湧く。そういう時代の人間。
誰かが必ず助けてくれるという絶対的な信頼を何故か確信している老害。
そういう前時代的な男。
わたしは誰も助けてくれないことを知っているから、誰かが助けてくれるvs誰も助けてくれないの争いになるよね。
おまえの誰かはわたしだけど、わたしの誰かはおまえじゃないよね。
まあおまえはわたしに暴行するようなやつだし精神を乖離させるようなことをたくさんしたしこれからもするだろうからね。そんなやつと一緒に暮らすわたしはどうかしているとは思うけれど、わたしはおまえが死んでも死ななくても一生この殺意にまみれるのなら近くにいるほうが経済的なんだよね。皮肉だね!
昔若い頃は男女の同棲にはムッキャって感じだったけど、現実知ると同棲はものすごく大事だし、相手が一人暮らしを経験しているか否かでその後の自分に降りかかる負担がまったくもって違ってくるからその辺りのリサーチはすごく大切だよねって痛感した。まあそういう相手いねえんだけどね!
人生初すたみな太郎行ってきました。
肉と寿司とケーキが食べ放題なところですね。
ここの特徴として「お上品に食べなくて良い」というのがありますが、わたしは初すたみな太郎なのでできるだけお上品に食べました。最後だけちょっとあれなことしました。書きますよ。
まずお肉です。
基本的にくそまずいとかではないのですがそこそこです。牛か豚かタンかくらいの違いはわかるのですがその他はさっぱりです。わたしの舌が馬鹿なだけかもしれませんが。
肉が焼ける間暇なので寿司を食べます。
薄いネタに硬いシャリです。食べ続けるとこれだけでお腹膨れちゃいます。
てなわけでサイドメニューとして焼きそばとかラーメンとかカレーとかあるんですが重すぎてノーノーです。
一時間くらい肉と寿司を食べたあとデザートへ。アイスは色がやばたにえんなので取らず、ケーキを数個。あとソフトクリーム。休日とかディナー限定が多めなので平日に行ってもあまりつまんねえですね。でここで下品食い。ソフトクリームがあんまりにもちべたくて、ケーキと一緒に食べました。ひとすくいクリームのっけて食べたらケーキの乾燥して固くなったところにアイスがいい感じにマイルド感。うん、おいしい。
ドリンクバーは混ぜ混ぜすることを前提としているらしく、見たこともないくらい薄いジンジャーエールが出てきてびっくりしました。わたしは基本ドリンクバーではコーヒーだけを飲み続ける人間なので炭酸が薄くても気にしないんですが、これはすごく薄かったですね。コーヒーもアメリカンとかそういう括りはなくて、アイスコーヒーみたいな。まあカフェイン入ってればなんでもいーでーす。
んなわけで人生初スタミナ太郎は正直もういいかなって感じでした。
プロすたみな太郎さんによるとここはそういうお上品な食べ放題ではなくモラルハザードした食べ放題らしいんですが、わたしは食材で遊ぶ気はないので純粋に肉質や味でもういいかなって思いました。
大前提として罪を犯してからキチガイになったひとについてではないからね。刑が軽くなるからと凶悪犯罪者を次々キチガイにしてキチガイのイメージダウンも甚だしいのである。そういうひとは所詮キチガイ有罪になったらキチガイにならなくなるからさ。
わたしはフェミニストではないただのキチガイなのだけれど。
キチガイが罪を犯したら有罪にすべきだと思っている。
平等に。
人が人を殺したら罪に問うべきだ。
年齢、性別、キチガイに関わりなく、罪を償うべきだ。
親が子を殺しても、子が親を殺しても、平等に扱うべきだ。
(子の親殺しってタブーな風潮あるけれど、そこまで追い込んだらもうタブーもくそもないよねっていつも思うんだ)
現状のキチガイ無罪はあまりにもおかしくて、平等の精神からもずれているし、キチガイの一人として言わせてもらえば、もしわたしが人を殺したらきっちり首に縄かけて死刑にしてほしい。何もわからないで殺したとしても、人の命を奪ったという事実は残り、誰かが死んだという現実があるのならば、責任能力を問うより、命は命で償うという古典的な手法に則って実刑を下すべきだ。
そもそもなんの責任能力だ?
責任能力がないなら尚更命でしか償えないのだから命で支払うべきだ。
「女がネットをし始めたのはスマホから」という話題が回ってきた。
何処発祥かはわからないけれど。
ネット上で女を主張する意味がなかったので敢えて女だと発信することは早々なくて、ゲームでもやたらネカマが多く、女=おっさんプレイヤーだったなあと感じる。まあおっさんの下心を一番刺激できるのはおっさんだからね。
ただ世間における〇〇系女子という言い方には少しカチンときたりする。
あれね、理系女子をリケジョとか呼ぶあれね。肉食系とかじゃないよ。
いやさも居ないみたいな言い方じゃないですか?
物珍しいみたいな言い方じゃないですか?
女が理系だったり工学系だったりするのがそんなに変なんですか?
就業先で配線パチコンしてるだけで機械の先生扱いされたり、「女性なのにパソコン詳しくてすごい」とか言われるたびに、女性なのにってなんやっておもう。素直に褒めてくれれば素直に喜べるのにその前置詞なんやねん。女性は機械に疎くなきゃいけないのか。配線? なにそれしらなーい、わかんなーい、っていったほうがいいんか?
自分の観測していないものを存在しないと思う人が多すぎる。
※まずはじめに当記事ではファッションメンヘラや構ってちゃんの「しにたい」には対応していないとする
そしてタブレット再び。打ちにくいけどパソコンめんどくて。
ついったーで「死にたい」に「死にたいは生きたいの裏返し」と返信してドヤ顔してる人がいたみたいなのでその話題。真偽はまあどうでもいい。以前からこの類には不満を感じている。
本題に入る前に。「死にたい」には大きく分けてふたつある。
■生きたくないから死ぬ
■死にたくないけど死ぬ
後者は希死念慮で、今日のお昼はサンドウイッチにしようとか、天気がいいから洗濯しようとか、そういうテンションで死ぬ。まあこれは個人差ありそうだけれどね、少なくとも完全頭がばぐってるし、こういうのはあまり口にしないね。今回は前者について扱うよ。希死はまたいつか。
前者の「生きたくないから死ぬ」というのは一番スタンダード。生きたくない、でも死ぬのは痛いし怖い、できるなら消えたい、でも消える手段がないから死ぬしかない。このパターンを非常によく見かける。死にたいのではなく消えたいのだ。口によく出される鬱のスタンダードである。
世の中にはくそみたいな本が溢れている。詐欺を働きたければ自己啓発本か心理学書を出すのがおすすめだ、エビデンス要らないから。そういう本の中に「死にたいと言う人に行ってはいけない言葉」というのを非常によく見かける。がんばれ、とかね。今回のついーとで荒れていたのも対応が間違っていただとか。
でも実際追い込まれて「しにたい」と口にしたとき、言っちゃいけない言葉なんかよりも、ゆいいつこれだけ言ってほしい言葉ってやつがあって、その言葉が導き出されない時点で、そいつはどうでもいいやつなんだよね、どちらにとっても。
なんのための税金なのだろうね。
法人税あげたら会社が逃げるからだめですという意味なら、消費税を上げて個人を殺すことは可と事実上仰っているのと代わりはない。けれど労働者なくして会社は動かず。
こんなんじゃ消費できませんよ。
ところで氷河期向け求人10人に対して2000人以上の応募があったみたいですね。
わたしがついったーを見ている限り、この求人の存在は知りつつも募集していない層もいるので、200倍を遥かに上回っていると思われます。わたしも応募はしていませんが、なんていうか、うん、余ってるよなあ、生産人口、と思いますよね。いや事実余っているだから仕方のない話。
老人はよく「努力が足りない」というけれど、彼らは運がよかっただけ。
氷河期は運が悪かっただけ。
でもそんなことは言わない。決して運のせいにしない。
なぜなら自分たちの能力にしたいから。努力を運のせいだとしたくないから。自分たちが今豊かな暮らしをおくれて年金を受け取っているのは自分たちが努力をしたからだと思い込みたいから。そして努力をしていない氷河期マウントを取りたいから。
今のこのご時世、まだ「努力が足らない」と氷河期に言う。「我慢が足りない」という。
氷河期を雇わなかった会社は重要なポストに有効な人材が足りていない。氷河期が子供を産まなかったので出生率は下がり、氷河期がものを買わないので車も家も売れない。今まで氷河期に向かって言ってきた「自己責任」はほんとうは誰に向かって言うべきだったのだろうか?
(というか氷河期マウントって被害者マウントと似てるよねってずっと思う)
(被害者の方にも必ず原因があるだろうっていう思考がね)