「チミのデキのいいオツムなら一生賭けてもシェリィドラッグは理解出来ん」
Q.(……ん?じゃあ基本的に現金っていう勘定科目は使わないんじゃないの……?)
A.寧ろ使わないのは小口現金の方
わたしのような業務委託の個人事業主ではない、もっと大きな会社企業法人をイメージすると分かりやすいのだが、これらが保持する現金というのは金庫を使用するレベルでそう安々と出入りが出来ない。
そこで金庫の代わりにクッキーの缶へ現金を少なからず入れておいて急な精算に備えているのだ。
これが小口現金のイメージ。
「現金」という大カテゴリがあり、その中に小カテゴリとして「小口現金」が存在する。
そもそも財布に入るぐらいの現金のやり取りしかしないのであれば、端から勘定科目は現金のみ使用で何ら問題はない。
個人事業主は事業用口座を作ることをオススメされているのだけれどこれがいまいち分からない。いやわかっているようでわかっていない。事業用口座と帳簿の整合性って一体どこまで必要なんだろうか?
そもそも。買った日付で仕訳てしまっていいのだろうか。
まあ主に現金取引なわけだよ、わたしはさ。数百円買ったら帳簿につけるわけだ。複式でさ。
そうなるとさ、元入金から減るわけだよね、経費落ちだからさ。でも実際に銀行に行って数百円落としてるわけじゃないから銀行の数字は変わらないわけだよ。これ続くとさ、預金残高と帳簿が合わなくなってくるでしょ。月末にまとめて下ろすとかならまだいいけど、忙しくて下ろせなかったらズルズルずれていくわけさ。どうなのよ。
と調べてみたら色々方法はあるらしい。統一化はされておらず、というか、青色申告自体明確な決まりというか、まあ勘定科目の点で気付いてはいたのだけれど割と個人任せにされてる部分はあるもので。いやはや。こういういい加減な上に穴だらけなのを良くやりますよ。
■「事業主貸」(かし)と「事業主借」(かり)についてのご説明。
法人会計にはない個人事業専用の鑑定科目です。ワーイ。
事業のお金を「事業主個人に貸す」場合は、事業主貸(ジギョウヌシカシ)
→プライベートな出金に当てたい(家賃光熱費とか)はこちら。貸す方。
事業のお金を「事業主個人に借りる」場合は、事業主借(ジギョウヌシカリ)
→プライベートな財布から代わりに出しておいたわ、はこちら。借りる方。現金だろうがクレカだろうが仕訳できるのは割とでかい。ちなみに銀行預金の利息も事業主借で仕訳。
消耗品費100円 / 現金100円 だったのを、
消耗品費100円 / 事業主借100円 にすれば、自分の財布から出したことの仕訳。
事業主貸100,000円 / 現金100,000円 事業用資金からプライベート現金に資金移動をしたこと
現金100,000円 / 事業主借100,000円 プライベート資金から事業用現金に資金移動をしたこと
となり、ルールに一貫性が持たれ、ある程度は口座残高と合うのではないのだろうか。
まあそもそも口座残高と正確に合うことが必要がどうかも分からんのだが。
基本的にプライベートな口座または現金へ移動した後の行動についてはどこかに記録しておく必要はない。事業とは関係のない話なので。ただ現金を下ろして事業のために使うためにとっておくのであればそれは「小口現金」となるので、
事業主貸10,000円 / 小口現金10,000円 と小口現金として移動したことを明記し、
〇〇貸500円 / 小口現金500円 と以降は小口現金より支払ったと仕訳しておけばいい。
(……ん?じゃあ基本的に現金っていう勘定科目は使わないんじゃないの……?)
→次記事「現金と小口現金」参照のこと
総勘定元帳(そうかんじょうもとちょう)
総勘定元帳には仕訳帳からすべての取引が転記され、会計の期末には、総勘定元帳から、貸借対照表と損益計算書が作成される。
決算書は、貸借対照表と損益計算書から構成されている
1.日々の取引を補助簿に記帳する
2.仕訳をおこなって仕訳帳に記入する
3.総勘定元帳にその仕訳を転記していく
(4.貸借対照表と損益計算書が作成される)
ソフトが自動的にやってくれそうな項目ですね。
過去記事「宗教の二世の話」の続き。
フェアではない、と思う。
自分が良いと思って選択したものを他人に薦める。それは大人の関係としてはいいだろう。余計なお世話と言われることがほとんどだろうけれど。そして他人には拒否権もあるから受け取らないという選択もできるわけだ。まあ、言ってみれば、それが本来自己責任での選択というやつであって、宗教を選択する意志というのは他人がどうこう言えるものではないのだ。
宗教は拠り所で、信仰や崇拝を求めに行くところなので、それは個人の意志。
でもこれが親子間、いわゆる二世だと勝手が違う。暴虐だ。価値観を押し付けられ植え付けられるのは最早道徳倫理云々を超えている。端から全てを否定し、ただひたすらに宗教だけを肯定する人間を造るわけなのだからそれは選択でもなんでもない。押し付け。植え付け。洗脳。虐待。
極論で言えば「人を殺していい」と育てられた人が「人を殺してはいけない」という世間に馴染めないという事態が発生する。そこまではひどくはないんだろうけれど、ある程度はひどいよ。
そうなると馴染めなく生き辛いので、宗教の間違いを薄々認識しながらも宗教テリトリーで暮らしていく人生しか選べない。二世の葛藤というのは正しくここだと思う。そこ以外で生きられないのだ。そこ以外で生きられないことを知っているのだ。だからそこでしか生きられない。そこに居たいわけではないのに、そこから外には行けない。感性や感覚、認識が異なるので、テリトリーを外れることは敵わない。ずるずると、間違っていると感じながら、その場に留まらなければいけない。
形成された概念を宗教によって覆されるはありだけど、形成されてないものを作り変えてしまうのはフェアじゃないし、それはもはやただの虐待。
宗教は個人の自由。でも親子は完全なる別人なんだから、親が学んでいたって子供にむりやり学ばせてはいけない。子供が自分で選択できるまでは宗教を押し付けてはいけない。そんな当たり前のことが真理だと盲信している人間には通用しない。ここを突かれると彼らは口を閉ざす。宗教は人権尊重を訴えながら人権侵害をする。
毒親が毒親たる所以の話。
但しどちらが先なのかは不明。
大人が宗教にハマるのはいい。だって大人なのだから、倫理観を持っているのだから、それが宗教によって変わったり覆ったりまあなんにせよ、個人でハマる分には問題ない。道徳観とか倫理観とか育っていく上で適宜調整されるものだから、それが宗教に振り切って真理だと思い信仰を抱いてもなんら問題はないだろう。なぜならそれはその人の選択だから。宗教を選択したのだから、それは個人的な問題だ。
しかし子に教えるのはどうだろう。倫理観も危うい子供に宗教を教え込むのは道徳的にいかがなものだろうか。親がそれは真理だ真実だと幾ら喚いて教え込もうが、子供には間違ったものが分からない。正しいものも分からない。ただ親は絶対的な存在だから親が言うことが正しいのだろうと、大人が選択したものを丸呑みする。結果間違っているにしろ通常とは異なった倫理観や道徳を叩き込まれ、通常の世界では生きにくくなる。子は選択をしていないのだから、それは当然の話だ。親が生きづらくても、それは親が選択したのだから自己責任で通じるが、子は選択をしていないのだから責任もくそもない。
基本的人権は尊重されるべきなのに親子間では人権というものは無に帰す。親子なのだからという呪いのような言葉で子供は犠牲になる。親子なのだから人権を無視してもいいのだろうか。いいんだろうなあ。いつも被害をうけるのは子供だ。親の業を背負い、親の呪いを受け、親に足を引き摺られる。わたしはそんなにおもしろくもない人間なのだろうか、そんなにつまらない人間なのだろうか、そんなにうっとうしい人間なのだろうか。人格を壊されなければ、たられば、何かあったのかもしれないのに。
宗教は悪いとは思わない。人間、すがるものが必要なこともある。
でもね、自分が縋りたいだけなのに、子にも縋らせるのは、ちょっと間違ってると思うわ。
どうでもいいことだけれど成功体験でぐぐったら怪しいセミナーみたいなやつとか、なんつーの? 自己啓発的なもんばっかり出てきてうわあってなったんだけれどそういえばこういう話ってそういう自己啓発の立派な食い扶持ですよね。答えがなく模索しがちで他人の意見を聞きがちで、端から答えは各自の中にしか無いので引き出すにも引き出さないにしろ自己責任。好きそう。
日常の小さな成功体験を積み上げることによって自信は確固たるものとなる。
すると小さな失敗にも躓かず、常に前だけを見据えることが出来る。
自分には出来る、成功したという経験があるから。
結果、成功する。
のは、逆も言えるよなっていう割とろくでもねえ話です。
わたしの雑記は十割ろくでもねえ話だったりしますね。いつものことだい。
ここ数年わたしは成功体験を積み重ねることに成功しています。ほんとうに小さなことですが、仕事ができたとか、人間関係がうまくいったとか、まあ期間は短いのですが、ちいさなちいさなことです。家にベランダがなくても生活できたとか、冷蔵庫がなくても生きていけるとか、まあ一人暮らしできるっていうのも立派な成功体験です。
これらが毒親にとっては非常に好ましくないようで縛ってきます。邪魔してきます。
毒親にとってはわたしはぐずでのろまでなにもできない失敗体験ばかりの人生を送ってほしいんです。子供のしあわせを願っているようで願っていないんです。わたしはつまずいてだめになって自分に縋って共依存してしかたないなあだめなこだなあ奴隷で暮らしなよとそういうのを望んでいるんです。そういう親もいるんです。
仕訳というか取引入力をMFクラウドで行っていると素朴な疑問に直面する。
「経費にかかる消費税ってそのまま入力してかまわないの?」
この質問には税込処理方式か税抜処理方式どちらを採用しているかによって異なる。
どちらを採用するかは本人次第だが後述する業務委託料についても参照のこと。ただこの関係性についてはわたしはまだよくわかっておらず、業務委託料が税込だったら税込処理方式しか選べないのか否かについては理解不足。出来るだけ税抜処理方式を選びたい。青色申告は全体的に、処理がめんどうになるほど税が浮く傾向にあるからね。
税抜方式の場合以下の二つの消費税が生じる。どちらも流動負債に区分される。
仮受消費税(かりうけしょうひぜい)→販売等を行った際に受け取った消費税額の勘定科目。
仮払消費税(かりばらいしょうひぜい)→仕入等を行った際に支払った消費税額の勘定科目。
(下記はよくわからないから用いた時に調べるね)
決算時に、消費税法に基づく計算により算出される納税額は未払消費税等(還付の場合は未収消費税等)として計上される。このとき、(仮受消費税等 - 仮払消費税等)と未払消費税等との差額は雑収入又は雑損失で処理する。
相殺方法の詳しくはこちら(https://biz.moneyforward.com/blog/27422)
個人事業主は開業から二年以内は免税事業者なので消費税を納めなくてもいいので業務委託料に消費税がかかっていてもそれは懐に入れてもOK。ここから消費税を払うなんてことはない。
気をつけたいのが源泉徴収に関して。
業務委託料が「税込」の場合、業務委託料×10.21%が源泉徴収されますが、
業務委託料と消費税が税別で書かれている場合、本来の業務委託料×10.21%となりお得です。
なので業務委託契約を新たに結ぶ時、金額に納得していても、業務委託料と消費税は税別で契約書に残しておいてもらいましょう。
……ハイ。おべんきょうになりました。
→次記事「個人事業主の税」参照のこと。