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SHELLY DRUG is glorious.

「チミのデキのいいオツムなら一生賭けてもシェリィドラッグは理解出来ん」

新年あけまして以下略。

とは言っても年末年始お仕事なので年明けの感覚まったくないのですが、そんな世に面してるのか世捨なのかよくわからない存在なもので、わたしは昨日、大晦日に百貨店へ行ってまいりました。
当然大晦日料金なのでなんにも買う気はないただの茶々入れですのでかなり迷惑だろうなとは思ったのですが、行って良かったと思いました。年末感じれました。

いやすごいですね。一般の人っていうか働いてないっていうか仕事納めて年末の海老天買う人の熱意たるや否や。いやあすごいですよ、そしててんてこまいの海老天売り。慣れてないんでしょうね、売る側も買う側も。海老天売りはその日だけ派遣雇ったりしますから慣れてない感まるだしです。いいとおもいますよ!
人もごったがえしていてまさに年末! 年末です! 忙しいです!
という雰囲気を感じられたので良かったです。

わたしも年越しそばを食べ、そしてこれからお雑煮を食べ、んでもって仕事行きます。

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  • 2017/12/30 Saturday

2017年イチハラ的まとめ

2017年残すところあと僅かなので個人的に去年との変更点とかをまとめてみました。

 

まず収入ですが全体で見ると変わってないです。ですが個別に見るとかなり変わりました。

去年2016年も今年も派遣でうろうろしていたのには変わりないのですが、去年はダブルワークやトリプルワークなどでやたら時間と体力が奪われたのにも関わらず給料がかなり安かったです。今年はダブルワークすることはなく去年と同じ収入なので、体力面ではかなり楽です。同じ収入なら楽な方がいいんです。

 

また12月から新しいお勤め先になったのですがこちらはまだ長く続けられるかどうかが分からないので記事にはしません。いちおう直接雇用です。がんばるぞ。

(そんでここが年末年始等々のお休みはなしなんですよ)(ハハッ……)

 

諸々の知識やスキルについてですが、やっぱり派遣でうろうろしてると知らないうちに経験値もりもり溜まりますね。そういう派遣が疎ましいのは事実ですが、色々な会社に潜り込んで色んなものを吸収してると見えないものが見えて楽しいですね。殆どの会社で横行している独自ルールを第三者視点で涼しげに評価出来るのはやはり愉快です。

ふらふら色々なところを渡り歩いているようなフリーターを雇いたくないという気持ちも分かりますが、もしかしたらフリーターの方が経験豊かでアドリブ豊富かも知れませんね★知らんけど!

  • 2017/12/29 Friday

大掃除終わり

昨日の内に大掃除を終えてしまいました。

そもそもそんなに汚れていないので、日頃から掃除をしてますゆえ、さっと気になるところだけ念入りに掃除しておしまいです。部屋の換気もしましてすっきりとした空気の中年を越せると思いきや仕事です。誰かが休んでいる時、それは誰かが働いているときなのである。

 

料理についてですがなんやかんやで毎日美味しい食事を提供できています。

半分嘘ですが半分はほんとうです。

料理よりは掃除の方がスキル的には上ですね。

 

年末年始だからといって仕事が今年はなくなったりしないので、その点なんというか良いのか悪いのか良く分かりませんが年越しの感覚は薄れてますね。いつものことですが周りがバタバタしているのを見て感じるといった風物詩です。

掃除の時に全裸で風呂掃除をしていたら寒さで足が動かなくなったので冬に全裸は危険だと思いました。いやでも全裸だとそのまま洗えるし天井とかもお構いなしに掃除出来るから楽なんよ。まあ細かいところは別に冬じゃなくてもいつでも出来るからね。いつでも全裸でOKですよ。

 

来年の年始が忙しそうなのだよなあ。更新とか更新とか確定申告とか更新とか。

いちおうカテゴリで分けるならば二十歳前と二十歳後に分けられます。

障害年金だったら遡及申請も出来ますね。しかしこれは多くの問題を孕んでいます。

 

二十歳より前と言うと二十年もあるのであれですが、これは幼少期から考えて自己の発達や感情の育成、その他諸々に対して多大な影響を与えます。そしてその多くが完治不能です。考えてみると簡単なのですが日本には三つ子の魂百までということわざがありまして、つまりは三つ子の魂のうちに病んでしまえばそれは百まで続く病と化すのです。更にはこの歳で発症する多くの原因は家庭環境即ち親の影響が強く、子供自身にはあまり原因は存在しません。搾取され続け虐待され続け否定され続け人格を壊され続けた結果です。

 

対して二十歳以後発症ですと幾分か余裕が生じます。社会に出る機会があるからです。ニートはちょっとわかんねえです。少なくとも社会に出て社会というものがなんたるかを吟味することが出来ます。その上で会社との摩擦や上司との折り合いでうつ病になったり精神を病んだりといったプロセスを踏むのは二十歳前発症とは次元が違います。しかし二十歳前と後は、ただの年齢という違いしかありません。事態はもっと深刻です。

 

単純にうつ病や不眠、その他精神障害に関わる様々なケースを取り上げた時に二十歳前なのか二十歳後なのか、そういうカテゴリで全くもって治療方針もなんにもかんにも変わってくるのに、例えば二十歳前発症で全てのイベント毎を体験できなかった人間と、二十歳後発症で学校イベントや社会イベント等を体験できた人間では雲泥の差があると思うのですが、それをいっしょこたにしてしまえば判断としては楽でしょうけれど本質的には別物です。もう病気としても別物でしょう。少なくとも不眠に関しては、生まれてこの方不眠状態が続いている状態と二十歳を超えて社会人になってから不眠になった人では状況も環境も対処も心持ちも違うのです。

 

なのでわたしとしては二十歳という年齢制限を儲けるよりも何十年医者に通い続けていたのかという点を重視するべきだと思うんですよね。

軽度はすぐ治るんです。だって病気じゃない可能性もあるんですから。完治なんて通常しないです。治ったなんて言わないです。寛解はあるでしょうけれど治るのならば端からうつじゃないです。重度は薬飲んでも治らないです。だってうつっていうのは風邪と同じで、複合症状にとりあえずうつという名前をつけているだけでうつ病というものは存在が危ういんですよ。

  • 2017/12/26 Tuesday

人に食べてもらう

わたしは今年いっぱい軽めの仕事なので問題ないのですが年末年始も働きます。

大晦日もお仕事です。平日はお休みがあったりなかったりするまあ所謂サービス業ですね。誰かが働いているから誰かが休むことが出来るという日本の素晴らしい社畜根性が試されています。年末年始くらい全員休みにしてしまえばいいのにね。なあんにもめでたくもないです。ただ師走の忙しさと言ったらないですね。

 

母もボケ防止のため働いていまして、わたしはその間食事を作らねばいけないのです。

わたしだけが食べるのでしたら何の問題もありません。日頃から作っていますからね。

ただ人に食べてもらう料理となると少し変わってしまいます。

 

そもそもわたしはなんでも食べます。このなんでもというのは文字通りのなんでもです。自分の希望通りの御飯が食べられる環境ではありませんしそんなわがまますら思いつかない場所でしたので自然とそうなりました。一人で食べる時はスーパーめぐって安いもの探しては献立を考えるので特にこだわりはありません。ふとした時にあれ食べたいとか思いますがそれは大抵その要素が不足している時です。

味が良かろうが悪かろうが生だろうか煮詰めすぎていようが食べます。

 

対して母は好きなものしか食べません。その日の気分で食べたいものも変わります。

そんな母にわたしは何を提供すればいいんでしょうね……。

たまに出しても断られることもありました。わがままというか、まあわがままですね。

 

わたしはなんでも食べますので母がわたしにご飯を作るのは楽そうですね。反対にわたしが母にご飯を作るのはかなりきびしいです。

「精神障害者、雇いやすくする特例措置 厚労省、来春から」

というニュースが報じられました。朝日から。朝日から。朝日からです。

何度も言います、朝日です。フェイクと捏造が得意な朝日です。

内容は誤解を招くような記事です。まるで精神を雇用しなくてはならないかのようです。

 

過去記事:社会的精神障害者

法定雇用率=(常用労働・失業者含む)身体+知的+精神/常用雇用者+失業者数

 

確かに障害者の法定雇用率は上がるんですが(2.0→2.2%)

計上に精神カテゴリが出来ただけなんで、精神義務化ではないと思います。

身体障害者や知的障害者と比べ、精神障害者は短時間労働でないと仕事が長続きしない人が少なくない

それより記事内のこれよ。これ。どの精神障害者見て記事書いてるのか丸分かりだよね。だれ見てるのかな。だれ宛なのかな。もしこれがほんとうなら精神のクローズなんか存在しねーんですよばか。他の障害にはオープンクローズがないのにも関わらず、精神だけこれが言われるっていうのはクローズでもバレねーからなんですよ。そんなこの記事の見ている知的よりの精神や、世の中で作り上げられたキチガイ像なんてものより、現実を生きる精神障害者は過酷でシビアでリアリストだよ。真面目だからみんな精神病むんですだよ。

研修が一段落してわたしも少しだけ休みをいただけて、ホッとしたのも束の間。

母が爆弾を落とす。

「事故物件に引っ越したい」だそうだ。

 

わたしは母のわがままによって過去仕事を辞めさせられ東京を離れるに至った。

一人暮らしもその際に終えることとなった。不本意だけれど拒否権はない。

その時の仕事はわたしにかなり向いていたと思う。時間もきつくはなくて、仕事終わりに買い物を楽しむ余裕も金銭的余裕もあった。そしてあふれる向上心があったので、わたしはその会社で長く働きたいと思っていたし母にもそのことは言っていたから、だからこそ母はわたしをそこで働かせ続けたくはなかったし、わたしに頼めば断れないことを知っていて引越しを持ちかけたわけだ。

 

毒親というのは子供が反抗できないのを知りつつ選択の自由を与えてくる。

もちろん選択権などないので子供は頷くが、それを彼女たちは「子供が選んだ」と曲解する。

そして自身を無意識に正当化するのだ。

 

今の暮らしは決して相応なものではなく、家賃を浮かせたいという気持ちはわからなくもないけれど、何もこの新しい仕事をわたしが初めて少し慣れてきたタイミングで言うべきことではないし、そもそも今の不相応な暮らしに対する注意喚起は引越し以前から何度もしてきたのに、どうしてなんで今更なのかねと疑問が湧いて湧いて仕方がない。まあ……なんでかは想像はつくんだけれど、これ毒親サイドは全く理解してないんだよな……無意識の洗脳とかほんとうに悪質だ。

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