「チミのデキのいいオツムなら一生賭けてもシェリィドラッグは理解出来ん」
常々思っていることをだらだら書きます。
接客、主に販売において、金と取引されるものは商品です。
お客様が金を支払い、店員が商品を渡します。これにて契約成立、売買成立となります。
以上です、以上なんです。これ以上はないんです。
巷ではサービスが流行っています。右を向けばサービス向上、左を向けば一段階上のサービスを目指して。おもてなしですか。さようですか。
商品をカネで買う。これにサービスを付随させようと考えるわけです。無償で。
某企業曰く、私達がお客様に提供するのはサービスです、と仰る。
うううん? それは妙だな、妙ちくりんだ。
金と商品を取引することで売買が成立しているのだからそこにサービスを加えるのであればサービス料をプラスするべきだ。商品にサービス料を足せば問題ない。そして更には店員従業員側の給料にもサービス料として割増するんだぞこれは絶対だぞ。そうすれば金と商品とサービスの売買は成立する。つまりサービスを提供するのなら商品分料金上乗せ、逆も然り。んで従業員には賃金上乗せ。これでうまく回るわけですよ。
いやいやまさか、商品も賃金もお値段据え置きだけれどサービスは高級ホテル並とかそういうことを仰んないんすよね。いいんですよ接客なんて座ってて商品だけバーコード読み取ってくれるだけで。わたしそれだけ店員さんがやってくれれば満足だ。わたしはお金払って店員さんが商品くれれば何も言わない。何ならソシャゲしててもいいですよ。商品に傷さえつけなきゃね。以前通うのを止めたところは商品に傷をつけるような店員だったから行くのを止めたけれど、例えばお辞儀の仕方が悪いとか言葉遣いがへたくそとかそういう理由で商品を買わない理由にはならないだろう。最低限の商品価格しか払っていないのであれば。
クレーマーが良く言う「前はやってくれたのに」は店側の問題だ。
老若男女、どんなに貧しくても富んでいても、そして販売業界以外でも現れるこの言葉は顕著だ。前にもやってくれた。前例があった。これはまったくもってよろしくない。前例を作ってはいけない。もし作るのであれば当人がその客が死ぬまで面倒を見てやらねばいけない。前もやってくれた、別の人はやってくれた、ならその別人に頼めばいい。そしてその覚悟も責任もないならば安易に前例を作ってはいけない、サービスをしてはいけない。これは従業員側に特に言える言葉で、そしてそれよりも上の人間が知り得てなければならない。迷惑客をピシャリと追い出せるのはもっと上の人間で、その人間がゴネ得を許せばその店も店員もなにもかもおしまいだ。
前例が罷り通る店は店から客まで既に腐っているので利用しないのが吉。
現在は賃金+300円程度のサービスは無償化されていると思う。
だからそれを一旦0にするとクレーマーはすごくうるさいだろうけれど、いつかはしなければいけないと思う。過剰接客は首を締めるだけだからね。まあもしくは賃金を与えているサービスに応じて適切な金額まで上げることだけれど、こちらもこちらで難しいだろうなあ、特にコンビニ。
サービスは有償です。って各々が自覚して受け入れて見直さなきゃいけないけれど、
一番見直さなきゃいけない世代が、見直す気ゼロで、これからサービス満載の介護に飛び込んでいくからなあ。懸命な人は介護から逃げているんじゃないかなあ。
近所から完全にウィスパーがなくなりました。
売り場すらなくなりました。
過去記事: 金属片より恐ろしい事実を投下されたよ
わたしも買わなくなって他社に乗り換えたし、結構近年はウィスパーエリアは縮小されてましたし、売れないと判断されてなくなっていったんでしょうかね。売れなくても一定数の顧客が居れば置くところもありますがそれも居なくなったんでしょうか。まあ危険物をわざわざ大事なところに使いたくもないので正常だとは思いますけれども。
上の階の方は相変わらずドタバタうるせえです。どんな生活したらそんな音出るんじゃと思うくらいのド派手な生活音。そして時間を考えないドタバタ。ねむらせてくれない。
わたくし何度か過去の記事で薬疹に触れています。
一年ほど前にですね、でかい薬疹に見舞われました。見舞われた? 襲われた?
原因はわかっていません。エビリファイが濃厚ですがダークホースでデパスワンチャンです。ステロイドを皮膚にぬりこむことで封印には成功しましたがたびたび封印の殻をやぶってきます。サイレースのパターンもあるだろうな、最近色付きに変わったから。
とそんな話(最近ちょっとだけ薬疹出るよ的な)を薬剤師の方にしたら、
「え? 薬疹? どんなふうに発疹したの? どこがどう赤くなったの? 詳しく説明して。どうやって判断したの? どうして判断したの? え? は?」
とキレ気味で矢継ぎ早に責められるように聞かれました。
ここがこう赤くなってーとか、かぶれてーとか説明したんですけどそのたびに「どうやって判断したの?」とか「なんで薬疹だと思ったの?」とか聞いてくるんで、そのたびに皮膚科で先生に診てもらいましてとエンドレス。
最近では発症してもすぐに治まるのでその旨を伝えたら、
「すぐ治るんだったら体調のせいじゃないの? ストレスとか環境とかそういうものでしょう、薬疹じゃなくない?」
と憤慨して仰る。
どうやら「薬疹が出た」自体が地雷らしい。
わたし、おぼえた。
実際ストレスとか体調によって反応しやすくなるとかそういったことはあると思います。一度薬疹になってしまえば次からはなりやすいというか。しかしながら体調やストレスが原因でも薬飲む→反応で薬疹が出る、といった行為はそれに含まれているわけでして、一概に薬のせいではないとも言い切れないんですよね。ジェネリックの種類替えしたのは薬局なわけだし。まあなら先発品飲めって話ですけれど、一円でも安く済ませたいのだ。
まあジェネリックに関しても相当な地雷ですよね。言うて「成分同じなんでえ!!」とくそみたいなテンプレ吐きますけど、いやいや成分同じでも同じものが作れるとは限らないでしょ。あなたたち食材さえ用意されればイタリアンでもフレンチでも作れんのかと。実際ジェネリック、先発品に比べてくそみたいな効果しかないくせに副作用増えてるし。金額安くなるいうてもジェネリック加算ついてるし。
地雷やね。突かぬがよろし。
一年くらい前でしょうか。
上の階に引越してきた方が居ます。それまでは空き部屋でした。
わたしは基本的に静かです。静かすぎて生活してないと思われるほどです。まあ素足で歩いたりしませんし、自分でたてる物音が自分にとって嫌なので、なるだけ音を立てずに生活します。過敏なんでしょうね。
母は割とドタバタ音立てるので、わたしは静かにするように再三注意をしています。
上の階の方は足音ドタバタ生活音ガタンゴトンと物音マッハです。そしてそれが常識範囲内の時間であれば、うるせーな、で済むんですけれど、それが夜中の22時から始まり明け方の4,5時までずっと続きます。うるせーです。
7時頃に寝るのか出かけるのか知りませんが、それからはまた静かになります。
今わたしが無職だから夜中の物音に敏感なのだと言われればそうですが、無職だろうと有職だろうと、睡眠サイクルを邪魔されてしまえばどんなに薬を飲んでも無駄なことは承知の上。
しかし管理会社へ連絡しても「当人同士で話し合ってください」の一点張り。え、君ら管理費とってるのに関与しないの? 管理費なんのためにとってんの? 払わんでええすか? こういうのって当人だけで話し合うと必ずトラブルに発展するんですよね。メモでも残して嫌がらせに物音でかくなったらどうすんすか。ただでさえこっちは女で、恐らく上の階は男で、かなり分が悪いのにさ。
げつよーびです。
求人更新DAYです。まあべつに月曜オンリーじゃないんですけれども。
ハロワに行こうかと思ったのですが、気がついたらここ三年、ハロワに通いながら職探し、しかしながらハロワで就職に至った職場はゼロです。書類選考は毎回通るのですがその後面接で落ちます。必ず落ちています。100%落ちています。つまりハロワでの就職確率は0%です。
求人に応募する時は数撃ちゃ当たるの精神もありますが、0%は何倍しても0です。
倍率の高いところに、まとめて数撃つんです。そしたらご縁に恵まれる可能性があるのです。
面接なんて縁で受かるんですよ。縁がないところはどうがんばったってどうあがいても無駄なんです。なぜ面接に落ちるかなんて考えるだけ無駄なんです、縁がなかったと思って次探すほうがよっぽど建設的なのです。
とわたしはこの三年で痛感しました。
まあハロワの求人って割と露骨に学歴フィルターかけてるから、余程のスキル持ちじゃないと厳しいんじゃないだろうかと薄々は思っています。求人出すの無料だしなあ。
日記っぽいことを。
母が風邪を引いたらしいので、朝から支度をしてポカリとヨーグルトを買ってきました。
以上。
……まあなんつーか、煩いんですよね。自分がつらいときはやたらと煩い。熱アピとかしてくる。
わたしこんなにつらいのよ、苦しいのよ、とアピってくる。風邪の時だけではないんですが。
少し体調悪くなったくらいで死ぬかもしれないとか簡単に口にするんですよ。
そのくせこちらは放置プレイだ。幼い頃39度の熱が出た時も放置だった。
それなのにわたしは、母が風邪を引けば甲斐甲斐しく世話をする。
なぜか。そりゃ洗脳だからさ。
いやになっちゃうよー。
毒親から逃げればいいじゃんと思っている人へ。
逃げられないんだよ。
ひとは成功体験より失敗体験のほうが記憶しやすいからね。
幼い頃から失敗体験ばかり味わっていると抵抗も反抗もしなくなっていくのだよ。
逃げられないと分かっているから逃げようとする意志すら湧かない。湧いたところでどうせ失敗するし今よりもひどくなるから実行しようとしない。少なからず、似たようなことは誰しも遭遇したことはあるんじゃないかな。
保守的という意味も含んでいるけれど、異なるのは考えているだけではなくて、実際にそのような目に遭ったからそうしないという経験則なのだよ。
成功体験や自己肯定はきっと自信へと繋がるだろうね。
辞めればいいじゃん、逃げればいいじゃん。じゃんじゃん。誰かにそう言われて出来るものならとっくのとうにやっているし成功しているだろう。ともすれば失敗しているのだ。じゃんじゃん。