「チミのデキのいいオツムなら一生賭けてもシェリィドラッグは理解出来ん」
わたしの検索の仕方がまずいのかもしれないけれど。
Indeedで全体像見て、タウンワークとかアイデムとか八つくらいの求人サイトを毎日巡っているのですが。あと登録済み派遣サイトとか。あとハロワもです。
ハロワなあ。
掘り出し物案件以外はほんとアレ、何とは言わず。
ネットじゃ非公開のものもあるけれど、事業所名非公開で出してるところは殆ど常連組。稀に超絶案件があったりするけれど倍率が高すぎて相手側も倍率に応じて高望みしちゃって絶望的になる。まあ縁ですしおすし。
以前知人が「ハロワに出しても全然来ない」とか言ってましたけれど、例に漏れず常連組でして、ハロワに通う人も結局常連さんになるので常連組は嫌厭されるんですよね。そもそもハロワで求人見つけたらネットで検索してから応募しますので、それで箸にも棒にもかからない、否ブラックには引っかかるようなところは応募しませんて。ネットの普及率見ればハロワのみでの応募がどんなに阿呆かは簡単にわかるのにねえ。探す側にならないと気付かないのでしょうね。
やっぱり全体的に給与下がってるよなー、と障害者求人を見たら、
直接雇用健常者求人よりも障害者求人の方が時給が高かったんですよね、なにそれ。
いやでも、いやあ、いや、障害者求人は発達と身体のオンステージだから……比べちゃだめだから……と思っても、やはりという言葉は拭えないのですよ。うんやっぱり下がってる。少なくともわたしの検索している求人は明らかに賃金下降現象に見舞われていますよ。なぜですかね。物価は上がってるのに賃金下がったら生活できまへん。
ちょっと前にやらかした腕の跡が、本日青痰というか赤い斑点びっちりになってました。
こう蛇に呪いくらいました的なね。いや自業自得なんですけれど。
ちょっと気持ち悪いです。(自業自得!)
ちょっとだけやってみたい仕事が応募かけてるんですね。
職種としては珍しくないんですが何より駅から近い。めっちゃ近い。スーパーにも近い。
帰り際にお買い物ができる! そして週四でも受け付けている! ヒュー!
但し問題なのが時給。安い。
これくらいで。と思う額よりも下回っている。
さてここで悩みどころは二点あります。
一つは前向きに捉えてみること。その時給で週四、扶養控除内というと大体今は80時間だから、掛け算して七万くらい月に稼げると計算するとわたしはそれくらいでまあ生活できないことはないし、そもそも少しやってみたいと思っていた職種だし、駅から近いし、便利だし、駅チカだから安くてもいいや、時間融通利くから安くてもいいや、そう割り切る。
もう一つは現実的。時間を切り売りするんだから最低限の自分の単価を下げることはない。何かしらの不満が出た場合に真っ先にやり玉に上がるのは時給が安いから、これに尽きるし、それを言ってしまえば時給が安くてもここを選んだのは自分の所為なんだから責められるのは自分。だから最低限を割ってまで応募することはない、どうせ時給のことで後悔するのは目に見えている。
年末にしてた仕事は派遣の中では低かったんですが、まあ直接雇用よりは少しだけ高い程度だったのですが、それでも業務内容が多岐に渡りすぎていてパソコンをフル活用しないとやっていけなかったので、
「こんな時給じゃやってられん」
「あと100円上乗せしてくれ」
「いや100円だけじゃ足りない、もっと出してもいい仕事内容だ」
と派遣同士愚痴をこぼしあっていました。
その時の金額を考えるとやはり最近の賃金は明らかに低くなっている。なーぜー。
派遣の平均値も心なしか下がっている気がしますよ、なーぜー?
精神的苦痛という目に見えない現象を、肉体的苦痛という目に見える現象に変えること。
肉体への傷は大抵が治ることを踏まえ、すり替えを行う。
目に見えないものを目に見える形にすることにより問題を軽くすることが出来る。
問題そのものは全く変わっていないし好転もしないが、
明確にすることにより物事の差別化が可能になる。
以前ここ一週間に起きたことをメモにした。割と精神的にきついことが続いた。
けれど文字にして可視化し、再度見て、口に出した瞬間、それはなんでもないことになった。
きつくも苦しくもない出来事に思えた。挙句の果てにバカバカしく思えた。
(でもやはり思考の中においては、あれはかなりのアレだったと思われる)
自傷行為は物事の可視化だ。それも本人のための可視化だ。わたしのためのものだ。
横幅五センチほどのミミズ腫れになり水ぶくれが出来るほど痛めつけても肉体は治る。
治る傷は大したことがない。(個人差があります)
肉体は治る。こころは治らない。
きっとまたわたしは薬疹に襲われるだろう。
お金は欲しい(真理)
今日は書こうとした記事があったんですがとてもじゃないですがゲロ吐きながらor酒浴びながらor薬漬けじゃないと書けないような内容でして、また書いたら書いたで恐らく読む人がゲロ吐くようなものになりそうなので辞めます。いやなんかどこかで需要があったら書いてもいいんですけどね。題して「両親はダブルカルト」。アカン。
というわけで肉欲に塗れた話にしたいと思います。
お金がほしいです。わお、肉欲! 俗物!
お金はやっぱり精神的に安心しますからあるに越したことはないです。
貯金=安心です。安心は金で買えるんです、いえむしろ金が安心なんです。
前に三億くらいあったらうつ治るとか言ってた人居たんですが、治らないでしょうね。貯金して使わないでしょうね。寧ろそれで治った人はうつじゃないと思うので振り分けにはいいかもしれません。うつ病テストにしたらどうでしょうかね。うつ病疑いのある人に一律三億配りましょう、ほら、ちょうだいな。
お金を稼ぐには仕事をするのが手っ取り早いです。わたしは無能ですので開業したりは出来ません。
まあ、人道を捨てることに一切の良心が痛まないなら稼ぐ手段は幾らでもありますけれどね。
でも今気分は基本的にマイナス一直線なので、べつにお金がなくて無一文になっても仕事がまるで見つからなくても家を失っても死にそうになってもまあいいやって思う面もあるんですよ。これは別に楽観視とかそういう意味ではなくて、まあそれも孕んではいそうなんですが全部諦めていて全部どうでもよくて全部無関心で全部投げやりなんです。まあいいやで死ぬ気で働くとかはまた別です。死ぬ気になればなんでもできるとかどん底から這い上がるとかいう阿呆は、まだまだ底辺でもどん底でもなんでもないんです。死ぬ気になれば死ぬんです。死なないならそいつは死ぬ気じゃないんです。うつが甘えだから治るんじゃなくて治ったうつが甘えなんです。
少なくともわたしの思考は三つあるから、簡単に言えば三人以上居るんだろうなあ。
本日より開幕の確定申告に言ってまいりました。結論、地獄。
8時半開始だったのでそのくらいに行ったのですが、既に男性の係りの方が二名ブチ切れてまして、その他女性の係りの方が全速力であちらこちらを走り回ってました。案内は男性の方、パソコン関係は女性の方だったんですが、案内の時点でブチ切れていましたので正にお祭り会場の地獄絵図みたいになってました。さすが最低賃金。
初日という事もあり全体的にパニクっているという点も踏まえても、いやあ、すごかった。
初日に行くべきじゃないですね。
一時間半くらいかかったんですが、実際に書類をなんかしたりパソコンに触れてるのは五分程度で後待ち時間です。疲れました。わたしも慣れていないので倍疲れました。
e-taxのシステム入力をしていたんですが障害者控除って自己申告で大丈夫なんですね。
……だめじゃないの?
事前に税務署に行った時に控除を受ける場合の持ち物を聞いたんですが、その際は手帳が必要ですよ、と仰ってたので今日は手帳を持っていってたのですが、誰にも見せることなく自己申告で控除欄に入れて良いと言われました。しかも特別かその他か(精神一級は特別、40万)(その他、27万)という申告も自己申告で良かったです。まあたぶん申告ミスってもこう、なんか、別のところで引っかかるんでしょうけど……引っかかるのよね? 完全自己申告制だと控除し放題だからね?
マイナンバーだけ念入りに三重チェックくらいされましたね。
ちゃんと使われればいいんだけどなあ。現状なんにも使われてないし負担増えてるだけだし。
わたしはもうだめかもしれない
わたしはわたしのことを奇跡だと思っている。
生きている事自体が奇跡的だと思っている。
本来わたしのような人間は死んでしまったほうがいいのだ。生きていてもすぐに死んでしまうのだ。そういう意味で生きているのが奇跡。中身は狂っているけれど、精神は病んでいるけれど、一見常人に見えるところが奇跡的。
耐えているのも踏ん張っているのも死に損なっているのも、恐らくわたし以外の誰にも出来ないことを、誰かがわたしの体に入ったら一瞬で死んでしまうような事態にさえ対処してしまう、しきれてしまうそのメンタルが、奇跡だと思っている。
(まあ思うのは勝手だからね)
何度もぶち殺された精神は出張ることはなく、咄嗟の場面では合理的に判断する。
後々感情面で困るようなことにはなるけれど、一瞬が試されるような場面では常に自分を犠牲することを躊躇いなく選ぶ。
メーターが振り切ってしまえば360度回って元通りに見える。本質は全く違うけれど、そこまで見抜ける人は中々居ないので大抵は騙すことが出来る。
精神科医は嘘を見抜けない。そのくせ患者の言うことは嘘だと疑う。
ほんとうのことを言っても嘘だと判断する。思いたいのは分かるけれど。ダブルカルトに育てられた子はそうそう居ないからね。そういう子の言葉の重みなんかまるで理解出来ないんだろうな、育ってきた世界も環境も道理もなんにもかんにも異なるからね。そして、あなたがこちらを理解する日はこない。こちらはあなたを理解出来るのに。
自己犠牲とは聞こえが良いけれど、効率的に物事を進めるためなら自分がどんなに傷付いてもズタボロになってもまったく問題視しないということだから、べつに誰かのためにというわけではなく、自分のために自分を犠牲にすることが日常茶飯事だというだけで、まったくもって素晴らしい案ではない。ちゃんとそのツケは来るわけで、耐えられるとは限らないわけで。
発狂してしまう方が楽だと知りながらも発狂することは出来ない。なぜなら既に狂っているからだ。合理的な判別と判断のできる狂人なのだ。救われないね。