「チミのデキのいいオツムなら一生賭けてもシェリィドラッグは理解出来ん」
シゴトカテゴリでも良い気がしたのだけれど雑談気味なので雑記で。
すべての生きとし生けるものは接客販売業をやったほうがいいと思います。
もう学校の単位の一つにしてもいいくらいだと思います。
理不尽アンド理不尽な世界だからです。
レジ業務、といってもレジ主体であまり業務を行うことはないのですが、業務の中でレジを扱う時に気をつけなければいけないことがあります。それは誤差と違算です。
お金の管理なので人間が扱っている以上当然ミスは出ます。なら機械化すればいーんでね? と思いがちですが、あれも結局釣り銭を渡し損ねたとかで違算は出るみたいですね。わたしは自動レジだったことがなくて常に手渡しタイプだったんですが、自分で行う違算はひじょうに少なかったです。
が! 自分のミスが如何に少なかろうが無かろうが、レジ違算の責任を負うのはレジ締めです。
遅番にはなりたかねーですよ。
うちの近くのスーパーは品出しとレジ業務が完全に分かれているらしく、レジの人が品の値段を殆ど把握していません。そういうお店もあります。多くは品出し兼レジみたいなことが多いんですけれどね。
ただレジは右から左へバーコードを読み取ればいいので楽かと思いきや、そのバーコード自体が間違っている時があるんです。例えば二割引きや半額シールがついている場合。本日の特価品。青果なんかは判断が必要なので、たまにキャベツとレタスを間違えて打っちゃう人居ますね。
ちなみにここのお店のレジ定着率は死ぬほど低いです。
そして二回に一度は必ずレジの打ち間違いが発生してます。
ただねえ、これに関してわたしが出来ることは何もないんです。経験者ならきっと分かるかと思います。ただ寛大なこころで憤らず焦らず、あの、値段が間違っていると思いますので、確認お願いします、くらいしか言えないんです。だってこの類のミスってただの連携ミスだもん。レジが悪いんじゃないもん。
ゆえにですね、わたしはここで品物を買う時はレシートガン見します。
みなさまもそうしてください。レジの人は嫌だなんて一瞬も思いませんから。
むしろ袋詰終えた後に「袋いらないです」とかいうやつのほうに殺意むくんで大丈夫です。
最近知らない人に話しかけられることが非常に多いです。
あっ、あれですよ、悪い意味じゃないです。良い意味……なのかしら?
まあなんだかその日の天候の話題とかニュースになってる事とか差し障りのないことだったり、道を聞かれたりとかそういうことなんですけれども。
少し前のわたしだったら話しかけるなという殺気を放っていましたので話しかけられなかったのでしょうけれど、最近では否応なく話しかけられ、そしてわたし自身もまんざらではないので話に乗らせていただいています。更におしゃべりをすることにより様々な情報を得られたりするのでお得です。とはいってもわたし自身他言無用な性格をしている上に基本他人はどうでもいいので、ナイショの話とかここだけの話とか聞いてもどーでもいいんですけれどね。
雰囲気とかがやわらかくなったのかなーとか、歳のせいかなー、とか色々考えるんですが。
話しかけにくい人よりは話しかけやすい人のほうがいいですね。
これでおしまい。最後は自傷の話。
自傷行為についてだけれど出来るだけ致死性の低いものの話。高いものになるとそれは自傷ではなく自殺未遂になるからね。死なないと分かっていながら行うのが自傷だと思ってる、意識的にも無意識でも。ただすこしだけ間違えて死にそうになることは、たまにだけれど、なくはなかった。
自傷行為は二つに分けられると思う。最初はプラスとマイナスという風に書こうとしたのだけれど、どちらが優れていてどちらが劣っていてとか、どちらが上向きでとかそういうのがあまりないような気がしたので、AB表記にする。
Aは構ってちゃん。いわゆるなんちゃってメンヘラタイプ。自分の痛みを他者に分かって欲しいと思う、構ってくださいちゃん。
Bは精神の痛みを肉体に変換するタイプ。身体にすると見えやすいし治るしね。
これら二つのタイプはまったくもってぜんぜん別物のくせに、大きい括りで囲えば同じ自傷行為なので、どちらに属するか、あるいはどちらに近しいタイプかでまったくぜんぜん治療法とかも別なのに同じ扱いを受けるはめになる。
(Aは放っとけばいいんでないかな)(エラーは起こりにくいタイプだからね)
変換タイプの人間は分裂を起こしてる場合が多いと思う。精神的な自分と肉体的な自分は別物として扱い、精神世界の苦しみを現実世界の痛みに変換することで目に見えやすくし測りやすくする。かといって解消にはならないしただ目測をつけたいだけなので、つらかったね、とか何か哀れみのアレな言葉をかけられるとぶん殴りたくなる。
承認欲求がないわけではないのだけれど、構ってちゃんのように自己愛が強いわけじゃない。
ともかく認知が追いつかなくてエラーとして自傷を行っている。
本来ありえないほどのものを抱え込んで追い詰められて押しつぶされているのだから、幻覚や幻聴を見たって聞いたって、自傷をしたって当たり前。死んで当然。そんな当たり前のありえない世界で、つまらない戯言をほざくのがわたしなのです。
そもそもわたしは幻覚に対して割りかし肯定的な見方をしている。
ここで用いる幻覚という症状はうつとか精神的なことからくるせん妄みたいなやつ。
脳がエラーを起こしているとして、そのひとはエラーを起こさざるを得ない環境下に置かれていたわけなのだから、対処すべきなのはエラーではなく環境下。
それでそのひとがもし、エラーを起こすことにより、何らかの保身を知らず知らずのうちに行っていた場合の話。
メンタルというものはとてもとても不可思議なものだ。
目に見えない分どのくらい傷んでいるかなど想像もつかない。限界もわからない。ある日ぷつっと許容量を超えてしまっても誰も気付かない。自分ですら気付かない。気付かないうちに対処する。分裂したり自傷したり壊れたり閉じ込めたり忘れたり。処世術なのか死生観なのか定かではないけれど。
エラーを起こして目をそらさせるのも、ひとつの処世術。
それを治すのは果たして治療なのか?
むりくり現実を見せたところで一体なんになるんだ?
結局のところわたしは正気では生きられない。そんなこったとっくにわかってる。
しにたいと言うと、死んだつもりになればなんだって出来る、という人がいる。生きるのがつらいからしにたいと言っているのに、もう一度生きるという舞台にあげるなんていうアドバイスはまったくもって的外れだ。
端から観点が違うんだ、ナンセンスなんだよ。
わたしの脳はゲロを吐く。
汚物のように、エラーのように、幻覚をまきちらす。
感覚を愚鈍にして、神経を鉛のようにして、喜怒哀楽を封じ込め、
エラーの原因など追求すらしないで、
ひたすら見ないふりをする。
それが投薬。
問題はひととして何が残っているのかだよ。
先日新たにラミクタール錠を処方されました。
2008年に発売されたお薬ですので未だジェネリックは発売されていません。確かジェネリックが出るまでは10年くらいかかったはずです。まあジェネリック、効果が薄くなるんで好きじゃないんですけれどね。少しでも医療負担分を減らしたいんで泣く泣くジェネリックを選択するんですけれども。
薬剤師の方って必死に「ジェネリックにしたからって成分変わらないから効果変わりません! 弱くなんかなりません!」って言うけれど、飲んでみりゃ分かるけれど弱くなったり変な副作用出たり合わなくなったりするんだけどなあ。あっ、飲まないんで分かりませんね、そりゃそーだ。
ラミクタール錠は25mg、102.3/錠。100mg、273.8/錠。
レクサプロは10mg、212.0/錠。(レクサプロの最大投与数は20mg)
高いなあ。
ラミクタールは抗てんかん剤だけれど抗うつにも効果があるという不思議なタイプの薬らしいが、重篤な湿疹が出る可能性があるのでいきなりMAX投与はしないとのこと。
今年はじめから薬疹に悩まされたわたしはこの話を聞いて真っ先に「ニ゛ャー!?」と叫んだのだけれど、従来の古いタイプの抗うつ剤が全く効かないわたしには既に薬価のおぞましく高い新薬しか残されていないのであった。なら投与止めてくれよ。
(ちなみにわたしは抗うつ剤は効かないんで要らないっすと自己申告済)
(うつは結果であって原因じゃねえからね)
寝る前にハッと気付いたんですが、
週に20時間以上働きたいけれどフルタイムの40時間がきついのならば、
一番適しているのは障害者雇用なんじゃないかと。
※障害者雇用の法定雇用率
精神障害の短時間労働者の労働時間は週20時間以上30時間未満ダヨ!
但し精神障害の場合のみカウントは0.5人ダヨ!(しねくそやろう)
時間数で言えばそうなんでしょうけれど現実は甘くはないのです。ただでさえ少ない直接雇用は完全に20時間未満にシフトしていますね。そうなるとやはり強くなるのは派遣です。なんてこった。
まあわたしの場合は障害者雇用云々の前に精神科医には就労不可と言われているんですけれどね。就労不可だけれど無条件で衣食住が保証されるわけありませんので働かないといけません。なら就労不可じゃなくね? イエイエ、出来るだけ働くな、働いたら病気ひどくなるぞ、治るまで働くな、とそういう感じです。
でも働かないと金稼げないんですよね、ちょう矛盾。