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SHELLY DRUG is glorious.

「チミのデキのいいオツムなら一生賭けてもシェリィドラッグは理解出来ん」

これぞ役所ヤクザ。

 

障害年金更新の季節がやってまいりました。該当書類を7月に送付するのにも関わらず提出期限が7月中という阿呆を通り越すレベルのものでございます。役所は9時5時の月金ですし、当然ながら会社をお休みして行かねばなりません。提出するのだけで。ばかじゃないのかな。働いてないときも往復往復の連続で疲れます。そして診断書には2週間から3週間かかります。そしてとてつもなく不備率が高いです。年月とかね。ばかじゃないのかな。

 

ところでマイナンバーとかどうしたんです?

こういう手続とか一本化されないんですか?

 

今あたくしお賃金のよろしいところで働いておりますの。

残業代は出ないのですが、月のお金はとてもいいのよ。税金たくさん持っていかれてきっと雀の涙くらいしか残らないけれどね。今この瞬間で言えばとても大きいお金が振り込まれるのよ、ふふふ素敵でしょう。確定申告ちょうこええ。

(と税金のことを考えるともっと高い委託金を請求するべきだった)

 

でまあ年金の申請欄には現状の仕事内容みたいなこともあるので話したら、精神科医が爆笑してました。

「請負? 事務? なんだそれwww」みたいな。うん、だよな、変だよな。

でも君がわたしの仕事を笑える立場じゃないんだよなあ。

仕事は変だけどな。

 

給料は良いけれど残業代や交通費は出ないし期間限定。しかも更新時だけの期間限定。なんだかそれはそれで申告するのもデメリットでしかない気がしますね。申告しないっていうのはナシなんですけど、ちょっとだけ悔しい気もしますね。そもそも正規雇用されるほどの精神状態ではないし非正規を辞め辞め過ごしているので、今回は少し給料の高い非正規(労働者ではない)なだけであって、仕事が不安定なのには変わりないのだし。

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ネットを彷徨っていると全く異なったふたつの意見に直面することがあります。

例えばセルライトに関してだと「つぶして治す」「つぶしちゃだめ!」みたいなね。

どちらを信用すればいいのか素人目にはわからないし、そもそもセルライトについて書いた始まりの本がエステの経営者って時点で察するんだけれどね。

 

まあ見た目きれいなものではないからやはりどうにかしたいわけです。

そもそもですね。

「死ぬより体重が増えたほうがマシ」(参照:2009年前後の雑記)とかいう精神科医の勝手な自己判断により30kg体重の増減を経験したわたしは、セルライトを見るたびに嫌気が差すんですよね……。

 

そんなわけでセルライトをどうにかすべく色々調べた結果、同時にふくらはぎのむくみや顔のむくみ、あごとかのたるみとか、まあ要は全身マッサージみたいなことを始めたわけです。本来クリーム塗ってのマッサージがいいらしいんですがクリームに耐性がない上に何塗ってもかぶれるので、お風呂で浴槽に浸かりながらもみもみマッサージ→出て身体が乾いてからぐりぐりマッサージみたいにしました。更にはちょっとした筋トレみたいなエクササイズも取り入れました。

どうにかなるといいですね。

 

日頃の不摂生はどうにもならんので、生活を改めたいなら仕事を辞めるしかないです。

健康になるためには仕事を辞めるのが手っ取り早いんです。

一日デスクワークはヒエヒエでつらいですよ。

  • 2018/06/30 Saturday

死なない虐待死

タイトル矛盾。

 

肉体的には死んでないけれど精神的には死んでしまう虐待というのは毒親家庭では非常によくある光景だと思われます。そしていつも殺すのは自分自身です。自害です。自殺です。自分が悪いと思いながら死ぬのです。なんででしょう。子供ながらに自分が悪いと自分を責めそうして命を絶つのです。

 

セクハラモラハラパワハラ虐待いじめその他諸々が最近取り沙汰されるようになった裏面ははっきり言ってとてもわかり易く、声を出す人たちが増えたからです。声を発信するツールが増えたからです。そしてそれを受信する耳もツールも揃ってきているからです。今までもありました、当然ありました。しかし問い合わせする場所も少なく、問い合わせしても聞く耳を持たれず泣き寝入りをすることが多かったのです。それが今やまったく関係ない場所に問い合わせても取り沙汰される始末。件数が増えたのではなく、ツールが増えたのです。悪いことではありません。

 

虐待のニュースを良く見ます。

でも今まで虐待がなかったわけじゃないんです。

 

わたしがあるとき役所に飛び込み「親に殺される」と相談をしたことがありました。家を出る少し前の話です。結果としてわたしは殺されはしませんでしたが殺されたのでしょう。もうあの時、無理でした。自分自身の解釈や心持ち、自害や自殺、人格の崩壊や殺害でどうにかなるレベルではなかったのです。その際に役所の人や関係各所は口を揃えて同じことを言いました。

「親と相談してください」

「親子なんだから」「わかりあえるはず」

 

親という皮をかぶった言葉の通じない化物の存在を知らない彼らは、こう言います。第三者機関に相談してもどうにもならない理由がこれです。一番重要で、一番瀬戸際で、一番追い詰められた人間に対応するポジションにいる人は、ぬくぬくとした家庭環境で育っているのです。わかるわけがないのです。親が子供を、なんの理由もなく、なんの悪意もなく、毒して動けなくして自尊心を崩壊させて奴隷にする理由がわからないのです。

 

福祉は大抵がそうです。ケースワーカーと話して呆れたことがあります。

精神科医もそうです。おまえたち、ぜんぜんなんにもしらねえんだな、っていつも思います。

サッカー台とかおまとめ台ってスーパーにはあるんですがドラッグストアにはありません。

わたしはよくそこでレシート確認をするのですが、ない場合は棒立ちなのでかなりアレです。そして先日不幸な事故が起こりました。家に帰ってからレジミスに気付くという不幸な事故です。

 

その時わたしは3kgくらいの買い物をしまして、両手を荷物で奪われるという事態だったのでレシートチェックができず、帰ってからチェックしたら案の定ミスっていました。何十円の世界ですが、レジの打ち間違いは金額の問題じゃないんですよ、信用の問題です。

バーコード読み取り自動レジですから、打ち間違いと言うより連携ミスですね。

 

わたしは常々思うのです。

こっちに引っ越してきて、割り込みを頻繁にされるようになりました。電車でたくさんぶつかるようになりました。何度もレジの打ち間違いに遭います。なんでこうできないの? と思うことがたくさんあります。譲り合わないし、マナーが悪いです。そしてそんなことにいちいちイライラして目くじらをたてている自分の器の小ささに嫌気がさします。

 

で結局言うか言わざるかの問題なんですが、わたしはそのドラッグストアが潰れたら困るので言いません。人が少なくて品出しもろくに出来ず、商品POPも間違えが多く、セールの日にセールをしているとは限らず、店に置くはずのチラシをあえて置かずに、セール開始とともに値上げをし、カルビーロッテ押し(まあこれは仕方ない)レジ応援に誰も来ず、店長は煙草休憩ばかりで常時ぷんぷんタバコの臭いをまとわせているような、接客レベルを無視してもはっきり言って二度と利用したくないレベルの店ですが、それを伝えてその店がどうにかなったらライフライン的な店なので困るのは自分なので言いません。

 

次の引っ越しでは東京に戻ろうかと思っています。

東京がいいっていうより、他の都市が東京にあぐらをかいているというか、東京以外だからこの程度でもいいだろうって思っているのは他県の特徴なんでしょうかね。

 

まあ極論、さっさとあのひとたちが死んでくれればわたしは地元に戻れるんですけれど。はやくしんでくれないかな。子供にしんでくれよって思われるのってどんな気持ちなんだろう。何十年生きてきて、何十年こども育ててきて、そのこどもにしんでほしいって心の底から思われて、ほんのすこしでも嫌な気持ちになってくれるなら、それはほんとうにうれしいことなんだけれど、きっとあのひとたちはわたしのそんな小さな殺意なんて気にもとめないから、きっと悠々自適に生きているよ。

以前からわたしがたびたび書いていた「上の階がうるさい」の張本人さん。
過去記事:「上の階がうるさい、まとめ」とかも書いていた上の階さん。
先日ついにお引越ししました。やったね!
(ちなみに出てけとかそういう圧力はかけてないですよ)(抗議メールは送ったけど対応ナシだったのでまったくもって意味をなさなかったですね、それが原因とも考えづらいです)

思えばずっとでした。わたしが越してきてから一年後に入居した上の階さんはそれ以降ずっとわたしの睡眠と休息を邪魔していました。不眠症は威力を増し、虚脱感は日に日にノイローゼと化しました。もとよりの不眠症のおかげで眠れはしないのですが、追い詰められていく感はすごかったですね。自分のせいで不眠症なのと人のせいで不眠症なのは違います。
結局上の階さんが何の仕事をしていたのか、それともなんにもしていなかったのか不明です。
越す時に一声かけたり謝ってくれたりするのかなとかふと思ったんですが、なにもなかったです。わたしもナタを手に直談判行くこともなく終えて良かったです。ほんとうに、よかったですよ。

そんなことを言ってもわたしも早くて来年には越しますので騒音問題は一旦終了です。
まあすべての騒音が上の階さんからもたらされているわけではないので、騒音がすべて終了したわけではないのですが、上の階にまつわる騒音は一旦、おしまいです。やったね!

(ちなみに当物件における騒音問題はwebで取り沙汰されてるくらい有名です)

  • 2018/06/16 Saturday

発達障害は病気ではない

「発達障害は病気ではない」とはっきり明言した記事を載せながら、別の記事では「精神障害雇用が増えている。発達障害に話を聞こう」というダブルスタンダードを往くyahooニュースはスゴイ。

発達障害が病気ではないのならば彼らは障害者になることもないので障害者雇用されることもないのに、この矛盾はどうにも解消されないのは、発達障害が障害者になったほうが病気と認定されて気持ち的に楽なのと、障害者雇用したい会社が通常の精神障害だと扱いに困るけれども発達障害ならば比較的簡単に扱えるので良いというwin-winな関係性だからなんだろうなあと思う。まあ障害者じゃないし病気じゃないんだから、健常者なんだよなあ。

 

そもそも後天性がないのならば精神障害とは根本から異なるように思えるがまあそのへんは医療が今後どのように進化していくかによるというか、たぶん進化しねえから独断と偏見で言っちゃうと、脳があらかじめ壊れるか、生まれてから壊れて精神障害になった人と、後天性+αが存在する精神障害と、先天性のみ存在する発達障害はまったくもって別物であって、発達障害に用いられるのは治療ではなく適用であることから、病気でも障害でもないちょっと変わった人、という定義が正しい。障害者にむりやりカテゴライズしたいなら知的、そうでないなら健常者だ。そもそもマジョリティなのだしね。

 

精神障害者は十人十色のブラックボックスだ。これは精神医学が何十年もまったく進歩しないことにも由来しているしおそらく今度も進歩することはないとおもう。だって精神科まじ儲かりますし。精神科医あほですし。障害者就労儲かりますし。

なので健常者であり治療の必要性のない発達障害の症状を持つ人間を、「病人」で「障害」で「精神障害」に分類しておけば雇用しやすいし扱いやすいという企業の涙ぐましい(?)雇用事情もわかると言えばわかるけれど、それでその他の精神障害はじゃあどうすりゃええんですかいなという答えは一生ない。どこか閉鎖空間に行ってろと言うのなら費用を出してほしいし、安楽死をさせてくれるならどうぞ安楽死解禁してください。

 

自分はどこかおかしいのではないかと年々考え追い詰められる中発達障害が病気だと分かって安心した人もいる、というのは理解できるといえば理解できる。ただそれは別に病気じゃなくても良かったはずだ。そういう性格ですという判断でも間違っていないはずだ。病識に浸りすぎているんだ。病識に甘んじているのだ。病気だから仕方がないと高をくくっているんだ。それは精神障害者にとってとても、とてつもなく失礼な話だ。

今の職場は派遣先としての就労と業務委託としての就労、とまあ変な働き方をしている。

その上でヒソヒソ話を正社員の子としていたときのお話です。

 

あまりお金の話とかそういうのはしないんですがそのときはむちゃくちゃ暇だったのとか色々ありまして、聞かれたんですね。

「派遣と業務委託ってお給料どっちが高いんですか?」と。

わたしは色々考えました。保険料とか色々。一年前の派遣時代の時給と待遇と考えながら、同時間働くとするとと計算し答えました。

「派遣ですね」

正社員目をまるく。

 

「それに派遣は残業代出ますからね」と付け加えると、

「えっ、今出ないんですか!?」とびっくりされました。うん出ないよ。

 

だからといってわたしは派遣に戻る気はないけれどもう二度と業務委託で仕事をする気はありませんよ。当初業務委託ではなく個人契約と聞いていたのでパートみたいな雇用かな? と思ってたらこれですからね。フリーランスで活動していくならともかく個人で業務委託を受けるメリットなんかわたしには感じられませんよ。どうせ労働者みたいな雇用体制で働いてんだ、どうせ偽装なんだ、意味ないんじゃ。

 

(もっとわたしが技術を持った業務委託だったら高賃金なんだろうなとは思う)

(低スキルだからこそ業務委託の旨味はないというのは分かっておるのだ)

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