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SHELLY DRUG is glorious.

「チミのデキのいいオツムなら一生賭けてもシェリィドラッグは理解出来ん」

「あなたの人生はあなたのもの」
「親を大事にしろ」
「親のありがたみを理解しろ」
「いざというときに頼れるのは親だけだ」

一番上を言えるのは搾取されたことのない人。
残りの三つはカルト的に皆云うね。
でもさ、これって裏返したら、絶対的な存在である親が裏返しになってしまったら、絶対悪の権化になってしまうということを暗に認めているのだけれど、それはいつの時代でもなかったことにされているのは何故なのだろうね。

親のありがたみって何なんだろう。
わたしが親から教えられ与えられ得たものは、自分の限界を超えて我慢をすることや、自己勝手に生きる親のために自己犠牲を払い続けること、親の負債はすべて子供が担うこと、親の顔色ひとつで子供の気が狂うこと、子供の芽を簡単につぶすその仕草と狡猾さ、おまえはできない子だ、だめな子だ、何の役にも立たない、産まなければよかったとそういう類の言葉を日々ぶつけられること、そしてそれに対する自我の喪失。
喪失した自我、本来生まれ育つはずだった自我を事前に刈り取られ、親の望む自我をむりやり叩きこまれたわたしには、毒親の洗脳が解けた今でも自我が生まれることはない。常に誰かの顔色を伺い、常に誰かのモノマネで生きる。だって自我がないんだもの、あるべきアイデンティティがない。
社会生活は常に基板ありきのものだが、その基板が構築される前にすべてのものが破壊された搾取子には育つべき環境すら微塵も与えられない。

以上を踏まえてわたしは親のありがたみなどというものは一切分からない。
理解不能である。

そして恐らく運ゲーの勝者にはわたしのこの意見は一切通じない。
平行線にもならない。彼らはわたしの言葉には一切耳を傾けない。
ただ自分たちの親はすばらしいものだから、親というものがすばらしいから、親に感謝するのが当たり前、親を大事にするのが当たり前とその常識らしきものをぶつけてくる。一方的に、暴力的に、押し付けて、正論を吐くのはさぞかし気持ちの良いものだろうな。その正論は大衆が言っているものだから、間違いなど微塵も感じさせないし意識もしないから、とてつもなく気持ちの良いものなんだろう。

でも君たちがうちの親の元で子として生活したら二日で自殺すると思うよ。
 
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逃げられるとか云うクソみたいな文章を書くことの出来るクソッタレの意見など知らない。わたしの親は毒親で、そして彼女からは逃げられない。それは、まちがいなく、まちがいなくて。
一年余り一人暮らしをした。健康的な生活だった。規則正しい生活リズムは、わたしに正確な排便と心地良い眠りをもたらした。わたしはまるで自由だった。過去形だ、自由だったよ、とても、楽だった。誰かに束縛されない生活も、誰かに邪魔することもなく、朝が来れば起きて働いていたし、夜になれば寝ていたよ。わたしは好き勝手に生きた、そうだよ過去形だよ。規則正しく生きることがわたしにとっては好き勝手、好き放題というわけだった。

毒親からは逃げられなかった。
一年ぶりに会った親に同居を勧められなし崩しに「そういうこと」になった。
そもそもこれにはすこしばかり複雑怪奇な事情がある。

そもそもわたしは幼い頃から親の顔色を伺っていた。いいこだった。分不相応なくらいの「いいこ」で、反発もしなかったし反抗もしなかった。する意味さえ見出だせなかった。かといって別に従っていたわけではない。たぶん、わたしに一番親しい単語は「奴隷」だと思う。搾取されるだけの奴隷だ。
でも別に奴隷である身分を疑ったことはなかった。わたしはその部分がひどく欠落している。例えば人は「あなたの人生はあなたのもの」だとか「親の人生に振り回されるとかあなたの人生はなんなの?」と問うだろうけれど、その時点でわたしはその人と一生相容れないと思っている。だってそれは正論で、正論を吐けるということは、正常な世界で生きてきた証で、そして正常な環境で生きられるのはただの運ゲーだからだ。
わたしは幼い頃からそうだったから、自分の人生などというものは選択したこともなければ選択を選択することすらなかった。かといって親がレールを敷いてくれたのかと言われればそれはノーで、毒親がしてくれたのはいつでも包囲網の中での逃げ場のない選択肢の提供だ。そしてわたしがその、限定された選択肢を選べば選ぶほど、毒親は益々わたしが自分の化身だと勘違いをする。一蓮托生というか、一心同体というか、共同体というか、まあ、そんなもので。

親の考えることはすべて分かっている。深層心理とか、そのへんで。口にしなくても親の望みはわかっていて、わたしは自分の意志とは裏腹に毒父や毒母の望みを叶えるために生きている。それは普通の人間にすればひどく気味の悪い行動だろう。わたしは親にどんなにひどい目に遭わされても、「親の面倒は子が見る」という「常識」から逃れられない。子の面倒を一度でも見たことのないネグレクトの親に対してわたしは常識を貫いてしまう。ここにはなんの感情も意志もない。常識だけで動く。
だから親が同居したいと、わたしと住みたいと、云う。わたしは自分の体調や精神が悪くなるとわかっていて、そして将来も何もかもつぶされることがわかっていても、その提案を飲む。毒親が、暮らさない選択肢もあるのよと微笑みながら言っても、毒親は心の底ではわたしと一緒に暮らしたいと思っているのならそれを尊重する。毒親がわたしの考えを一切尊重したことはないのだけれども。

きっとわたしはこのまま搾取され続けていく。
意志も希望もやりたいことも、何もなく、分裂した精神を抱えながら、屍のように生きる。
毒親からは逃げられない。わたしはうつ病になるのが早すぎた。わたしは搾取され続けるのに慣れすぎた。奪われるのが当たり前だった。わたしは人の気持ちがわかって仕方がないやさしすぎる人間だった。わたしは決して自分本意には生きられない。ただの常識と義務で、精神をボロカスにしながらそれを果たすことを選んでしまう、愚かな馬鹿だ。

自分勝手に生きる人間の傍には必ず自己犠牲を払っている人がいるんだ。
ほんとうならば複数の人間の自己犠牲で成り立つんだけれど、毒親の場合は、自己犠牲を払うのはその子である一人だけでいいんだ。
わたしは前に、もし犠牲を払って事が穏便に済むのであれば、わたしの犠牲だけでいいと、精神科医に話したら、あの人はひどく罵ってくれたけれども、それはあまりにもあなたが幸せな運ゲーを送ってきたから激昂できる話なのであって、例えばあなたたちが当たり前のように「親を大切にしろ」とか云う、そのまったく反対のことが起こった時にその腹から生まれた子供の受けるダメージなんて計り知れないということを、頼むから少しでもわかってほしいんだ。

子供は簡単に思い込むよ。子供は簡単に壊れるよ。子供は簡単に、親の望む子になるよ。
それはもう、洗脳だよ。
抗うことも逃げることも叶わず、親が少しでもさびしい、さみしいとつぶやけばすぐさま助けに行っちゃうんだよ。ヒーローみたいだよね、ばかみたいだよね、その分精神ボロボロだよ、精神薬も飲みまくるよ。でもべつにわたしは助けに行きたいわけじゃないんだよ。「助けることが義務だ」と思ってるからその通りに行動してメンタル壊すだけだよ。

わたしは毒親から逃げ切れませんでした。
洗脳が深すぎました。浅い人なら逃げられるかもしれません、それこそ正常な恋愛や正常な交友関係を築いている方なら可能かもしれませんけれど。ただそれを築く前に洗脳されてしまったら、もう不可能ですよね。ええ、不可能です。
 
  • 2014/06/17 Tuesday

多剤併用

わたしは体験談を主にした多剤併用に関するwebサイトを常々作成しようと狙っていたのだが。

「向精神薬 多剤処方を制限…診療報酬認めず」(http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=94241
「向精神薬の処方制限についての解説」(http://bylines.news.yahoo.co.jp/idesohei/20140311-00033462/

3月の記事で、実際に施行されるのは10月らしい。
読んですぐにわかるのは、別に多剤服用に溺れている患者を救いたいわけじゃなくて、罰則与えるから(診療報酬減額するから)患者さんにお薬いっぱい出さないでねってこと。
いつもの通り、お医者様の懐のお話。患者は蚊帳の外。

今迄ドーンとお薬を出していた医者は、いきなりドーンとお薬を減らすだろう。
で困るのはいつも患者。減薬断薬に慣れてない人は苦しむし、医者はそのリスクを知らない。
わたしは多剤併用時からずっと減薬してきて、いつかは完全に薬ゼロを目指してるけれども、その道程は険しく、医者は必要ない。だって彼らは薬を出すけれど、治してくれるわけではないし、治す手助けをしているわけでもない。薬中を増やして養分にして勝手に病名つけて依存させて金が欲しいだけだから。

「多剤大量処方減算での議論 」(http://californiarocket.blog.fc2.com/blog-entry-342.html

ま、こういうこっちゃね。
薬を出す側が薬について無知すぎる。患者に出してる薬を一度全部自分で飲んでみればいい。
おいクソ医者
おひさしぶりー!レボトミンおひさしぶりー!

消え失せろォォォオオオオオ!!!!!(前に処方された時に20kg太ったよ★)

……おい、おい、どういうことだよ、おい
わたしはな、こう言ったんだ、ファッキンドクター
「眠れねえからサイレース増やせ」、こう言ったんだよ、ドクター
それがどうだい、サイレースは増やせねえ? 全国的に薬を減らす方向に持ってってる? まあいいじゃねえか。その取組は実にいい。多剤併用が当たり前のご時世、そういうのが上から命令されるのは実に小気味良い。おまえらの稼ぎが減るんだ、喜べ。

なんでサイレース増やせないからってレボトミン出すん……?
薬減らすんやなかったん?
なんでよりによってレボトミンなん? これ睡眠薬ちゃうやん、抗精神病薬やん。
おねむならんよ? 太りよるよ? 太りすぎて永遠の眠りに落ちてしまうん?

よく聞けクソ医者。
こちとらもう小学生の時から不眠と仲良しこよしだ。次の年には眠剤と仲良しだ。
だから不眠の扱い方は誰より心得てる。不眠に効く薬は誰よりも、薬学を学んだおまえらよりもだ。

(てゆーかまじありえねーよおおおー!!!!)(いやぁぁあああん)
(眠剤増やせって言ったらなにゆえに抗鬱剤出るんだろうなあ、頭まじおかしいんじゃねーの)
(レボトミンは儲かるから仕方ないね)(ゴミ箱へダンクシュート!!)
(いやまじこれ抗議もんですよ)
 
  • 2014/04/02 Wednesday

ふくざつなじじょう3

前回の記事から一ヶ月後、わたしはスピード引っ越しをしました。
仕事より引っ越すほうが先なんです。家にいても仕事を探せないんです。
引越し業者に頼むお金がもったいないので住処を毒親に明かし、荷物を搬送してもらいましたが、次に引っ越すときは場所も知らせず縁も切ろうかなと思っています。
親は頻繁に会いに来たりものを持って来たりします。本来わたしの購入の楽しみでもあるものを先に買ってしまうんです。わたしが家にいないと愚痴をこぼして泣くそうです。それを他人から情報としてわたしは受け取るわけですが、なんのことはない、そこには打算しかないわけで、慰めもしなければ自ら会いに行く理由にすらなりません。

親と会わない日々はわたしにとてつもない開放感と、安らぎを届けてくれます。
起きたい時間に起きて寝たい時間に寝る。たったそれだけのことが小学生の時から出来なかったわたしにとって、生活リズムを整えられることは心の底からの喜びです。ちなみに朝七時起きの夜九時寝です。
数日ぶりに会うと体調を崩します。会わないと元気です。

さてお仕事です。
社会性の養われていない子による就職活動は困難です。
好きなこと得意なこと、はたまた仕事に向いていること不向きなこと、したいことしたくないことの分別がありません。昔バイトをしていましたがあれはなんというか、ヤク中の暴走というか、あまり深く考えずにただお金を稼ぎたかったという思いだけで動いていた部分がありますし、今はその時よりも薬は抜けていますし、割と正常な思考で居られます。ただとても良い齢のくせに社会性がないというのは致命的で、この失われた十年もハンディになるだけです。
そしてその部分を詳しく説明してもぼかして説明しても、どっちみち不利です。
むずかしいですね。

とりあえず親元を離れてみたものの、内面は一向に育っておらず、外見だけが歳をとっているものですから、中身が追い付くにはまだ随分と時間がかかりそうです。が、生きていくにはお金が必要で、生きていくには社会に出なくてはいけません。少しでも気を抜けば親が来訪し、また共依存関係に逆戻りです。
その部分の調整がとてもむずかしいです。
まあでも家にいた時より随分と調子がいいです。これはとてもいいですね。
 
  • 2014/02/18 Tuesday

ふくざつなじじょう2

そうそう。わたしは常々子供の性格とかそういうなんやかんやは環境が決めると思っているのだけれど。
割と最近は、直接的な虐待を行っているわけではないが子供に何らかの形で悪い影響を及ぼす親のことを、毒親なんて呼ぶみたいですね。引きこもりやニートの原因が親にある、という「毒」もありますし、行き過ぎた共依存関係を「毒」と指すこともあるみたいで、わたしは傍にいるだけで心が砕かれて意志を奪われてやる気を削がれる関係のことなんじゃないかと勝手に思っています。
こういう言葉が出来るほど、そういった親は社会的に認知されているのでしょうかね。
うん、わたしの親は、間違いなく毒だ。
もう逃げよう。

ちなみにこういう親に育てられている場合自立心というものは目覚めないのですよ。
離れようとは微塵も思わないのです。社会性自体育っていませんからね。
まともな思考能力はありません。思考が育ちませんから。
今でもわたしは母のことを毒親だとは思っていません。むしろ絶対神みたいに思っています。崇高の対象なのでしょうね、だから端から見ればとても仲の良い素晴らしい家庭に見えます。
当然相談相手なんていません。だって端から見れば我が家は理想の家庭なのですから。

でもねえ、そういう一般的建前とかとは別次元でねえ、わたしにとっての家っていうのは安息の場所じゃなくてね。ずっと緊張しててね、もう何年も何十年も。それで考えたの。これからも、これからの何十年もこうやって安らげずに過ごしていかなきゃいけないのかなって。これからの何十年、今まで過ごした十年以上の記憶がなかったのと同じように続くとして、何も中身の無い年数をただ親と共に過ごしていかなきゃいけないのかな。上辺はずっと理想の家庭のまま、ストレスと悪意を孕みながら、夜泣いて、朝叫んで起きなきゃいけないのかな。
だから、試してみようと思ったんです、親から離れてみようと、そうおもったんです
  • 2014/02/18 Tuesday

ふくざつなじじょう

あなたは言う。
親を大事にしろとか敬えとか尊重しろとか尊敬しろとか言う。
あなたの言っていることは至極正しい。疑う余地のないほど正しい。万人の理解を得られるほど正しい。
だからあなたはわたしに自信を持ってその言葉を言えるのだろう。一寸の迷いさえなく、わたしを叱る。間違ってはいない。君の理念は正しい環境と正しい親によって形成されているし、これからも揺らぐことはないだろう。
これからもあなたは親に向かって良くない言葉を吐く人を叱るのだろう。あなたが叱る十中八九の人は正論を浴びせられ、悔い改めることだろう。

けれどほんの少しだけあなたの頭のなかに隙間があるのなら覚えていて欲しい。
そういうあなたの正しい理念は環境が作り上げたものなのだということ。
あなたの正しい論理は正常な社会生活の中で形成されていたのだということ。
あなたはとても恵まれているのだということ。
あなたは恵まれた環境で恵まれた理想的な考えを手に入れたのだということ。
それは紛れも無く幸運だ。ただの、運だ。

そしてわたしは悪いことに、正常な環境で育つことはできなかった。
これは第三者から見れば、洗脳だとか、虐待だとか、そういう話のことだ。

人を叱るときに「とりあえず」出てくる正論は、あなたが特別な環境下で育ったからこそ言える台詞なのだ。わたしは幾度も幾度も思考を重ねてその正論に至ったが、あなたはきっと育っているだけでその言葉を言えるようになったのでしょう?
わたしはとてもとても頑張って、それでも挫けてしまうから、もうすぐ挫けてしまうから、逃げ出すように家を出る。もう随分と歳をとってしまったけれど、わたしは生きたいから親を捨てて逃げ出すよ。

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