「チミのデキのいいオツムなら一生賭けてもシェリィドラッグは理解出来ん」
どうでもいいことだけれど成功体験でぐぐったら怪しいセミナーみたいなやつとか、なんつーの? 自己啓発的なもんばっかり出てきてうわあってなったんだけれどそういえばこういう話ってそういう自己啓発の立派な食い扶持ですよね。答えがなく模索しがちで他人の意見を聞きがちで、端から答えは各自の中にしか無いので引き出すにも引き出さないにしろ自己責任。好きそう。
日常の小さな成功体験を積み上げることによって自信は確固たるものとなる。
すると小さな失敗にも躓かず、常に前だけを見据えることが出来る。
自分には出来る、成功したという経験があるから。
結果、成功する。
のは、逆も言えるよなっていう割とろくでもねえ話です。
わたしの雑記は十割ろくでもねえ話だったりしますね。いつものことだい。
ここ数年わたしは成功体験を積み重ねることに成功しています。ほんとうに小さなことですが、仕事ができたとか、人間関係がうまくいったとか、まあ期間は短いのですが、ちいさなちいさなことです。家にベランダがなくても生活できたとか、冷蔵庫がなくても生きていけるとか、まあ一人暮らしできるっていうのも立派な成功体験です。
これらが毒親にとっては非常に好ましくないようで縛ってきます。邪魔してきます。
毒親にとってはわたしはぐずでのろまでなにもできない失敗体験ばかりの人生を送ってほしいんです。子供のしあわせを願っているようで願っていないんです。わたしはつまずいてだめになって自分に縋って共依存してしかたないなあだめなこだなあ奴隷で暮らしなよとそういうのを望んでいるんです。そういう親もいるんです。
子を産むとは女ゆえの特権なので、わたしはとても勝手な話で悪いのだけれど、わたしの個人的な考えなのだけれど、この役目を果たせないわたしは女としての責務を果たしてはいない。
逆に子さえ産んでしまえばどんなに頭からっぽのクズみたいな女でも、女としての機能は果たしているので女としてはふさわしいと思う。
極論だけれどね。
わたしは子供が産めない(産まない)のでこういう考えに行き着くのかもしれないけれど、残念なことにこの世の中やはり子を産んだ女のほうが強い。子を産んでない女はなんらかの地雷として扱われる。まあ人間的に問題があるのは間違ってはいないよ。確かにわたしは地雷物件だ。とてもひとにはオススメできない。だからといって仕事上で非難される覚えはないけれど。仕事は仕事、それはそれ。
昔ぼんやりと、その内年取ったら、ふつうに恋愛してふつうに結婚してふつうに子供産んで年老いていくんだと思っていたけれど、存外それはむずかしくて困難で、ぶっちゃけわたしには不可能で無理で限界だというのは、まあ、うん、とっくには気付いている。子供は、むりだ。だから子供以外でのつながりを持てるのなら結婚したいけれど、やはり女は子を産むためのいきものだから、そういうのはむずかしいよなと、そんなことをおもう。
去年も初日に行ったよなあ、と思ったらやっぱり行ってました。
過去記事:「確定申告、自己申告」
行く前に念入りに持ち物を調べたつもりなんですが忘れたものがありました。いやあ「確定申告 持ち物」で見たんですけどね。まあ忘れても問題なかったのですが。
通帳です。
(あ去年の申告書も忘れたんですが結局何に使うのかわかりませんでした)
昨年もe-taxを使用していましたので利用者識別番号を取得していました。その番号に紐付けられていると思っていたのですが入力画面が出てきてびっくり。前年度に還付があり、通帳番号等入力していれば未入力でも問題ないようなのですが念のため持っていったほうがいいですね。あと利用者識別番号とパスワードの用紙は必要です。ハガキでもお知らせで来るらしい? わたしの家には来てないです。
去年よりも割と平和でした。パソコンできない人がパソコンできる列に並んじゃってくわばらくわばらみたいなことはしょっちゅう起こりました。もうねわかりやすく立て札立てとけばいいのにね。去年もこれ思ってたわ。e-tax自体は去年は人が付いていてくれたんですが係の人は誰もついていませんでした。気楽でしたがやはり障害者控除は勝手にチェック入れても何も言われないし手帳のチェックもされないからウーンと思いますね。
ネットでも出来る! と宣伝をたくさんしてましたがカードリーダーを買わねばならんので家からは申告したくないです。
あと来年分に合わせて青色申告決算書と収支内訳書の用紙&書き方を貰ってきました。
なんでや。
業務委託契約によりわたくしは個人事業主となりましたので開業届を提出してまいりました。それに伴い青色申告承認申請書も出しまして来年度の確定申告では控除を受けられるようにしてまいりました。この届け出によりわたくしはこれより個人事業主として働くことと相成りました。脱労働者! フリーランスです。独立です。起業です!
なんでや……。
業務委託は個人事業主として受けますので労働者ではありません。なので労働者に適用される労働法も原則適用されません。メリットと言えば時間や場所等自分で決められるので自由な働き方が出来るくらいでしょうか。労働者であれば加入できる社保は原則自己負担になりますので正直業務委託は企業側のメリットはあれど個人としてのメリットはほぼないと言っても過言ではない気がします。請負業務でしたら自由な働き方と謳えますが委任契約ですとほとんど自由さは無いかと。というよりほぼ労働者かと。というよりほぼ偽装請負かと。
せやね。
個人事業ですと帳簿をつけなくてはいけなくて、それに伴い白色申告か青色申告を選択できるのですが、どうせ帳簿はつけますし難易度もあんまり変わらないので、それなら65万の控除を受けられる青色申告にしました。ちなみに業務委託だと開業届は提出する意味はあんましないのだけれど、青色申告をするには開業届が必須なのでついでに出しました。開業届も青色申告も廃止届が必要なので、業務委託終了後は速やかに提出しなければいけませんね。そんなひまはないわ!
……わたしはなにをしとるんや。
去年まで猛威を奮っていたゆるゆるカーディガンが今年はめっきり見なくなりました。ちょっと今年になってから長めのガーディガンが欲しくなったので買いに走り回っていたのですが、ワイドパンツやロングカーディガンを全く見ません。露骨だな!
仕方がないので、まあ無いわけじゃないのでそんなに長くないカーディガンで過ごそうかと。もしくはロングが出たら買おうかと思っています。
こう服飾業界の流行り廃りはほんとうに迷惑というか、まあ、なんだろうね、流されることが好きな人とかそういうのには向いているんだろうけれど、流行とかどうでもよくて自分に似合う服が着たくて、琴線に触れたと思ったらもう売ってなくて(ネット販売も完売or品自体なし)そんなわたしみたいな世捨て人には厳しいです。
世捨て人というより流行に興味ないんだよ。人の仕掛けたブームはべつにねえ。
ただロングカーディガンというか、少し丈の長めの、お尻にかかるくらいの裾丈カーディガンはずっと欲しかったんですよ。昔のカーディガンは丈が短いの。わたしがでかいというのもあります。
売り場で見た限り杢グレーという色がとても好みでした。ネットの色合いと実物の色合いがまったく違っていて、合わせにも良い色です。この色のカーディガンを一着は欲しいです。
さらっと今思い付いたことをダラッと書くだけの記事なんですけれど、まあある種の「正論だけど言っちゃあかん」みたいな風潮あることだけれど、一番大切なのは労働力なんですよ。
従業員は一番のお客様であるってやつに似通ったところもあります。
ものづくりしてる人が一番偉いんです。ものを売らなきゃ会社が成り立たないところなんか特にね。
ただものづくりの人間は軽視され続けてきた、その結果が今の人材不足。ぜんぶ大体はそう。軽視され続けてきた歪が今になって表面化しているだけであって、その一番の問題は氷河期なんだけれど、表面化しただけであってもっとずっと前から危ないやばい危険だと思われてはいたのだけれどなんの対策も練らなかった。寧ろ逆のことをやってきた。ものづくりに関してはオール外注。社内にノウハウなんて残らない。だからまた作る時は都度都度頼めばいいと思っている。その都度に人が足りないなんて想定もしていなかった。少し考えれば人材は有限なのだから確保していなければ流れていくのはわかっているのに。
外注を人材ガチャみたいに例えてる人が居たのだけれど、なんていうのかな、そもそもそういうガチャに手を出しちゃう企業自体が駄目なんですよ。だって本来は内部で育成していくものなのに、内部にノウハウ貯めて保有資産として運営していくものなのに、それを人材不足労働力不足と嘆いてガチャを引く。その時点で間違っている。けれどそれを指摘したところで自覚したところで、もう企業はどれだけ高学歴新卒を取り込むかしか考えてない。市場の労働力は無限(と思い込んでいる)なのだから有限の新卒確保に勤しんでいる。
働き方改革なんて偉そうなこと言っても所詮は企業の人件費削減の選択肢広げに過ぎず、男女雇用均等法なんて結局女の仕事を男が奪う形になり不当に男の立場が低められている。経営陣の懐だけにやさしい諸々の改正により労働力は死ぬべくして死んだのです。
去年はめいいっぱい派遣はクソってことを伝えたような気がしますが、
今後は業務委託について徒然しそうな気がするんすよ。
いや、なんだろ。
わたしもこうなるとは思ってなかったんです。
べつにどうなっても割といいんですけれども。
なんだかすごい方向にいってるなあと他人事みたいに思うんです。乖離ひどなったかな?
まあ今すっごいストレスかかってるから乖離しても仕方ないよ。
現実から目を背けないと生きてゆけないのなら、背けてもいいんだよ。
どうせ生きてゆかねばならんのだ。